無 彩 色 




 五代は、しばしば留美子の実家にいった。
今朝も、夕食は実家でする予定だと知らされた。
五代はいささかうんざりした。
しかし、無言でうなずいて、了解したことだけを示した。
五代は留美子の実家がどうも好きになれなかった。
かと言って、留美子と喧嘩してまでも、実家に行かないと言い張る気もない。
いつでも、仕方なしに留美子に従っている。

 今日もまた留美子の実家、つまり福田家の門をくぐってしまった。
 「まあ、いらっしやい。留美子、五代さんよ」
 留美子の母アキである。
 留美子は厨房にいるらしく、五代を迎えにはでてこない。
 「あら、早かったのね.お父さんはまだだって言うから、ちょっとテレビでも見ていてよ」
 声だけがきこえてきた。

 居間のコタツに座ると、アキがお茶を入れてきた。
 「どお、最近、すすんでいて」
 アキは悪い人間ではない。決っして悪意はない。
いや、アキには善意しかない。
だから人の心の中へ無遠慮で入ってくる。
五代は気が重い。
アキは、五代を理解してくれた。
アキには教養があった。
しかし、それでも五代は好きになれなかった。
 「ええ、まあ……」
 五代は、はっきりとは答えない。
お茶に口をつけると、眼の前にあった夕刊に手をのばした。
 「もう少し待って下さいね。じきに夕食にしますから」
 そう言うと、五代を居間に残して、厨房ヘ行ってしまった。

 いくらもたたないうちに、福田家の当主、福田耕治郎が帰宅した。
 夕食となった。
 「どおだね、五代君忙しいかね」
 「いえ、それほど……」
 「そりゃ、いかんね。人間、忙しく働いている時が一番だ。君、絵が売れているかね。一週間もあれば、一枚は仕上がるかね。」
 「いや、とてもそんなには……。個展の予定もないので」
 「そおか、個展も金がかかるからな。どおだ、春になったら、また個展をやらないか。 銀座に店をかりてやるぞ。」
 五代は言葉につまった。
  
 「あなたそんなことを言っても、健一さんにだって考えてのことがおありでしょうから」
 と助け舟を出してくれた。
 留美子はテレビに夢中で、話には入ってこなかった。
 「五代君、はやく君にも有名になってもらわんとな。先生と呼ばれる人間が、この福田家に1人ぐらいいてもいいからな」
 「あら、健一さんは今だって先生よ」
 「おまえ、私大の講師ぐらいじゃ先生とは呼ばん。五代君、わしが金をだしてやるから、いつでもいってきたまえ。留美子、食事中にテレビを見るのはやめろと言ったはずだ」
 「はあい」
 しぶしぶとテレビを消しに立ち上がった。

 「さあ、五代君、もお少し飲みたまえ。」
 「はあ……」
 五代はグラスを空けると、耕治郎の前にさしだした。
耕治郎は無造作にオールドバーのビンをとると、五代のグラスにウイスキーをそそいだ。
そして、はしを1本とって、そのグラスに入れようとした。
 「お父さん、これを使ってよ」
 留美子はマドラーをさしだした。
耕治郎はそれを受けとって、グラスにつきさすと、そのまま五代の前においた。

 「もお、お父さんは……」
 そう言いながら、留美子はマドラーでステアーしながら、アイスベールからキューブを足した。
留美子のピンクの爪は、ネイルワックスがかかり、しっかりポリツシュアップしてある。
細い指先でグラスを持ち、ギヤマンのコースターを置いて、マドラーをぬいた。
オールドバーのリッチなフラグラントがひろがった。

 五代はナプキンリングの上に、はしを置いてウイスキーを飲んだ。
甘いモルトが口を刺激した。
しかし、オードバーはいつものとおり美味ではなかった。
  
 「いつでも個展をやりたまえ、なあ五代君」
 五代はレンゲでコンソメのブイヨンを食べた。
そして、フォークでロールキャベツを口に運んだ。

 「もお判ったわよ、お父さん.それより、まだご飯は食べないの」
 「おおそおか、それじゃあもらおおか」
 「お父さんにはたくさん盛らないでね.お父さん、ご飯よりおかずを召しあがって下さいね。」

 耕治郎は黙って、茶碗を受けとった。
眼の前のからすみを口に入れ、ウイスキーを飲みほした。
京焼きの茶碗のなかには、1つぶ1つぶ輝いた白米が、ふっくらと盛られて湯気がたちのほった。
皺のよった、やわらかい耕治郎の手のはだ色が何度か動いた。
白熱燈の光が空気をゆるく動かし、影を作っていた。

 五代は自分が金を持っていないことには、大して気にはならなかった。
しかし、耕治郎と対していると、無性に腹立しくなる時があった。
自分の描く絵が、軽くなってしまう気すらさせられた。

 耕治郎は15才の時、無一文で東京へでてから、職業を転々とした。
30才の時に出合った男にひろわれて、出世街道にのった。
本人も必死で働いたし、幸運も味方して財をなした。
今では相当な資産家である。

 金の道を歩いてきた男である。
すべての価値を貨幣で計るこの男にとって、五代も、五代の絵も金銭でしか判断できなかった。
有名な画家は優れて、売れない画家は無能である。
それが耕治郎の見方であった。
娘婿が有名になるのが、耕治郎に残された新しい財産の一つ、つまり名誉なのであった。
そのためには、耕治郎は援助をおしまなかった。
しかし、それは五代自身の才能を買っていることは、もちろん意味しなかった。
留美子の夫、つまり娘婿であれば、誰でも良いのであった。
五代も当然それを知っており、口惜しいとは思うのであったが、耕治郎の自信のまえには、黙っているより他はなかった。
 ベネチアンガラスの小皿に、果実が盛られてきた。冷めたい果肉が、酒後の口に気持ち良かった。


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