無 彩 色  




  気ががついて、はしの先を見た。
小さな透明の虫が、その身から次々とはいだしていた。
そして、一列にならんで、五代の手のほうへと歩いていた。
3ミリほどの体長をもつ細長い虫である。
プラスチックのような体表を輝かして、ビッシリとはしの上に連らなった。
ゴキブリを小さくしたような体形は、キラキラと光っている。
繊毛虫のように、細かい手足を素早く動かしている。
手足の動作は、機械的にくり返され、着実に進んできた。
はしを持ったまま、五代はその虫を見ていた。

 はしを登りつめた虫は、苦もなく五代の指先にのり移り、手のほうへ進んできた。
無限に発生する虫は、次々と五代の手にのり移った。
小さな虫は次第に手の表面をおおった。
五代は口をあけたまま、自分の皮膚の上でくりひろげられている光景を見つづけた。
モゾモゾと動く虫が、自分のやわらかい皮膚の上を、心臓のほうへと近づいてくるのを見ていた。
透明な虫は手の甲から、手首のあたりへまわり、無音ではい登ってきた。
虫が徐々に身体の中心部へと近づいてきた。

 五代は奇妙な心持ちになった。
身体の芯が冷めたくなり、白蝋化していった。
はしを持った五代の手は、ぶるぶるとふるえだした。
思わずはしをふりはなした。
五代は動悸が早くなり、大きく口をあけて息をした。
空気がなかなか口の中へ入ってこなかった。
のどのまわりに虫が密生し、空気の流れを阻止した。

 「どおしたね、五代さん。やっばり慣れないものは食べないほうがいいよ。うまくはないだろおが。いつも食べているのが一番。そりゃあ五代さん向きじゃあないよ」
 五代は、もう一度、その身にはしをのばした。
いやむしろ、その身が五代のはしを、呼んだというほうが正碓である。
五代の目玉は、その身にはりついてしまった。

 その時、店にもう一人、男が入ってきた。
瀬戸と言って、この店の常連である。
小柄で色黒のこの男は、あまり口数も多くはない。
節くれだった手と、猫背がこの男である。
こんにゃく苧のような黒いかたまりを、胃袋のとなりにかかえたこの男は、めったに笑わなかった。
ところどころ白茶けた皮のバンドが作業ズボンにくいこんでいる。
瀬戸が実直な性格であることはすぐわかる。

 瀬戸は毎日この店に通ってきた。
瀬戸は、なぜか安ちゃんと呼ばれていた。
決って酒を二合ばかり飲んだ。
 「洒をくれ」
 これも決り文句である。

 「安ちゃんは、酒以外のものを飲んだことがあるかね」
 そう言いながら、おやじはうれしそうな顔をして、瀬戸の前にコップ洒をおいた。
五代が飲んでいるのと同じ洒である。
  
 瀬戸はジッとコップを見た。
そして、持ちあげた。
分厚い瀬戸の唇が、ヒタヒタゆれる酒の表面にピチャリと吸いつくと、洒はへりはじめた。
ゆっくりだが碓実に、酒は瀬戸の口のなかへすいこまれていった。
瀬戸が、両の目玉をよせて、コップの洒を唇のあいだに流している。
その時、五代は胃から芥子色のにがい液体がのどに上ってきた。無理やりつばを飲み下した。

 「きょうは弘美ちゃんがいない」
 しばらく黙っていた瀬戸が口を開いた。
 「休むなんてことはないんだけれど…」
 油ですすけた電燈の光は、おやじの頭をゆるく照らし、あいまいな景色を作っていた。
 五代は、自分の横に誰かがきたように思った。誰だか判らなかった。
横の人間に顔をむけようとすると、腹のへんに太い棒を挿入されて、身体が熱くなった。
その太い棒はますます太くなり、五代の口からとび出しそうになった。

 「五代さん、もう寝ちゃったんですか」

 いつの間にか、瀬戸が隣りにきて、五代の肩をゆすっていた。

 「弘美ちゃんがいないんですよ。あの子がいないんですよ」
 脂ぎった瀬戸の顔が、五代に近づき、毛穴がブツブツと見えた。
ザラッとしている。
五代はある種の植物を思いだした。

 瀬戸の腕は五代の肩をゆすりながら、ゆっくりと五代の身体にめりこんできた。
ずぶすぶと瀬戸の腕は、五代の身体の中心部へたっした。
そして、赤色の音をたてて、五代の睾丸にまでたっした。
五代の両股から、アルコールが蒸発するように、水気がひいていった。

 気がつくと、店にはもう誰もいなかった。

おやじも帰り仕度である。
 「きょうは本当にどおしたんだね」
 おやじは、一升びんからコップに酒をついだ。
ゆっくり一口にあおると、右手で自分の胃のあたりを押した。
五代が店をでると、繁華街の光はすでに消えていた。

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