メトロ・ポールにチェックイン。
1週間前に予約した。
あのとき応対してくれた女性が、にこやかに迎えてくれた。
名前を名乗るだけで鍵をくれた。
ボーイさんが案内するからといって、ボーイさんに僕は引き継がれた。
ボーイさんは見あたらない。
高級ホテルといっても、メトロ・ポールのロビーはそれほど広くない。
この広くないところが気に入ったのだが、しかし、ボーイさんがいないというのはどうしたことだろう。
フロントの彼女に尋ねると、すぐにボーイさんを呼んでくれた。
ボーイさんはいたのだが、他の仕事の最中だったのだ。
他を向いているボーイさんが、まさか僕の担当だとは思わなかったのである。
彼は返事をしたが、やってこなかった。
僕は自分で荷物を持って、エレベーターに向かった。
僕の動きに気づいたボーイさんは、先に行ってくれといったのだ。
僕はむっとして、
「僕の部屋がどこだか判らない」
と言うと、ボーイさんは仕事を中断して、慌ててとんできた。
僕の鍵を確かめ、彼はエレベーターのボタンを押した。
部屋に入って一通りの説明をすると、ボーイさんはそのまま出ていった。
笑顔があるわけではない。
たとえチップほしさの笑顔でもいい。
サービスの仕事は、笑顔がもっとも大切なのだ。
もちろん、僕はチップを渡さなかった。
このホテルが建築されたのは、たいそう昔のようだ。
廊下、部屋共に、現代の建築からは想像もできな空間の取り方である。
昔の建築特有の天井の高さ、廊下の暗さ、階段の吹き抜けなどが目を引く。
最近改修したと言うが、それにしては内装がお粗末である。
もちろん今まで僕が泊まってきた安宿と比較しているのではない。
1泊200ドル以上取る宿である。
国際的な競争にさらされているはずで、メトロ・ポールを見る僕の眼も、とうぜんオリエンタルやラッフルズとの比較になる。
このハノイでも、韓国資本の近代的なホテルであるハノイ・タワーや、他にもいくつか新しいホテルがオープンしている。
韓国資本が作ったホテルなら、その仕上がりは見なくても判る。
おそらくハードとしてのホテルつまりホテル建築は、隅々まで神経が行き届いているだろう。
インドのように半ば鎖国的な国のホテルは、自国の基準が適用されるから、なかなか国際的な神経が行き届きかねることは理解できる。
しかし、ベトナムは社会主義国とはいえ、ドイモイで民間任せになったはずである。
ヴィザをとる手続きをのぞいて、今までの旅行でベトナムが社会主義国であるがゆえの融通のきかなさは感じなかった。
他のアジアの国々と、何ら変わることなく旅行が出来た。
商売とか外交面では、社会主義特有のやり方があるだろうが、少なくとも旅行に関しては二重価格をのぞいて、ほかのアジアの国々と同じである。
メトロ・ポールに来て、僕はベトナムが理解できたような気がした。
やはりここは社会主義の国なのだ。
庶民はイデオロギーには関係ないが、支配者たちはイデオロギーが大切なのだ。
戦争に勝つには社会主義は役に立った。
しかし、社会主義では庶民の生活が満たせない。
支配者たちは、社会主義による統治をあきらめて、ドイモイを言い出した。
ドイモイとは、もう自分たち支配者はやり方が判らないから、庶民たちは好きにやってくれと言う政策なのだ。
つまりベトナムの政府は、自分たちの無能を認め、何もしないと言っているに等しい。
それでも支配者たちの、長年にわって染みついたイデオロギー優先は抜けきれない。
支配者が使ってきただろうメトロ・ポールは、支配者の近くにいたがゆえに、イデオロギーの尻尾が切れない。
以前の社会主義国の基準で、この改修工事も行ったに違いない。
一見すると、きれいに出来ている。
建築には素人の偉いさんたちを招いてのオープンでも、お褒めの言葉が出たことだろう。
しかし、廊下のカーペットのたるみ、壁の腰での仕上げの切り替えの不揃い、巾木のとおりの悪さなど、数え上がればきりがない。
施工水準は低いと言わざるを得ない。
あるレベルから施工精度をあげるには、並大抵の神経では出来ないのだ。
日本の優れた施工技術は、日本人が長年養ってきた繊細な精神に支えられている。
建築だけが国民から離れて独自にあるわけではない。
このメトロ・ポールも、政府御用達から離れない限り質の向上はないだろう。
憎まれ口を言っていないで、まず風呂にはいる。
貧乏旅行ではバスタブとは無縁なのだ。
たっぷりとしたお湯につかること、これは本当に贅沢である。
飲む程度のお湯を沸かすことは、それほど大変ではない。
どんな奥地に行っても、お湯は飲める。
日本では簡単に風呂へ入れるから忘れているが、人間の体が入れるくらい大量のお湯をわかすことは、技術的にも経済的にも難しいことなのだ。
大量の水を用意する。
まずこれが大変なのだ。
サパの近くの村落で、水を引いていた縦の樋を思い出して欲しい。
あれでは風呂に水をためるには、1日かかっても不可能だろう。
彼等は風呂に入らないに違いない。
アジアの各地で生活する人たちと同じように、川で体を洗っているのだ。
お湯の風呂を、彼等は体験したことはないはずである。
たとえ水の用意ができても、それを沸かすことはもう絶望的に困難である。
ためた水を何に入れて沸かすか。
早そこで解答はでない。
一番簡単なのは五右衛門風呂であろう。
しかし、金属とそれ以外のもを、つなぎ合わせて風呂桶を作るのは、技術的に難しい作業である。
ドラム缶の五右衛門風呂が思う浮かぶが、農耕社会にはドラム缶などない。
またドラム缶が手に入っても、火力を何にするか。
木を燃やしていたら、たちまち山は丸はだかになってしまう。
直火しか知らない社会では、循環式の風呂釜など作れない。
バスタブがあるホテル。
これだけで高い料金を取られても仕方がない。
たっぷりとしたお湯に肩までつかる。
ここで使われている西洋バスタブは、僕の足が届かないほど大きい。
これが本物の西洋流バスタブ。
シャンプーや石鹸、それにバス塩もある。
ひげ剃りが壊れてしまったので、風呂場にある電話で剃刀を頼む。
シェービング・クリームはいらないのか、剃刀だけで良いのかと聞いてくる。
いくらもしないうちに、剃刀が届く。
髭も剃ってさっぱりした。
シャワーを浴びて出る。
シーツほどもある大きな白いバスタオルがきもち良い。
バスローブも、厚手の綿でしっかりした物だ。
お金をだすだけで手に入るこうした物は、どこの高給ホテルでも贅沢な物を使っている。
金額に比例して品質が上下する物は、誰が見ても簡単に見分けがつく。
社会主義のお偉方でも、これは判るだろう。
プールにはバスローブで出て良いか、念のため確認する。
ノー・プロブレムの返事。
本とサングラスを持って、プールサイドへ。
4・5人の先客がいる。
15メートルほどの小さなプールだが、それでも2メートル以上の水深があって気持ち良い。
すでに夕方になっているせいか、ポールサイドにはサービスの人がいない。
バスタオルの場所が判らない。
隣接しているバーの方に手を挙げると、中からボーイさんが出てきた。
バスタオルはすぐ近くにあったのだ。
ついでに生ビールを頼む。
持ってきた文庫本も、3冊目を読み切ってしまう。
ゆっくりと暮れていくハノイの空を見上げながら、この旅行も終わりに近づいていることを思う。
後半、車をチャーターしてしまったことを今後の反省にする。
フランス人のカップルは、路線バスを乗り継いでいたではないか。
行き当たりばったりの僕の旅行だが、現地の人の生活から離れることは、やはりつまらない。
それに今度は、外国のガイドブックを使おう。
日本のガイド・ブックより、外国のガイド・ブックの方が詳しく書かれている。
買い物や・ホテルの情報より、場所そのものの情報が欲しい。
日本のガイドブックには、地方に行くと街の名前すら書いてない。
生ビールをもう一杯注文する。
2組の家族連れがプール・サイドに表れた。
親子だろうか。
老夫婦に若夫婦といった感じである。
老カップルは、白人のご多分に漏れず太っている。
男性が女性を思いやっているのがしのばれて、心が温まる風景である。
男女平等も良いが、女性をいたわる男性の姿というのは、また美しくて良いものである。
プールから上がると、彼等は4人で並んで、デッキチェアーに横になった。
ドイツ語圏の人たちらしい。
しかし、注文した生ビールが来ない。
だいぶたってから催促すると、訓練生というバッチをつけた若者が持って表れた。
部屋に戻る。
トイレを使うと、トイレット・フラッシュが流れない。
ルーム・サービスに電話。
営繕らしき人が来て、格闘すること1時間。
トイレは直った。
この旅行ではジョを飲んだので、持ってきたウィスキーがだいぶ残った。
僕は飲み残しのウイスキーを飲みながら、夕食に出ようか迷っていた。
しかし、そうしているうちに、寝込んでしまった。
犬の肉を食べに行くはずだったのに。
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