団塊男、ベトナムを行く    ハノイの北は  
1999.6.記
1.ハノイ到着 2.ハノイの旧市街 3.ハノイの街並み 4.ハノイ郊外
5.サパへ .サパの蝶々夫人 7.ラオチャイとカットカット .ソンラーへ
9.ランクルの旅へ 10.ディエン・ビエン・フーへ 11.マイチャウから 12.チュア・タイ寺院
13.観光地ビック・ドン 14.ホテル:メトロ・ポール 15.さようなら

   

11.マイチャウから

 翌日は、ソンラーを経由して、マイチャウへ向かう。
ソンラーからは道も広くなって舗装も良く、ランクルは80キロ近くもスピードを出す。
国道6号線をひたすら走る。
ハノイがもうそこまでと言うところで、国道六号線と別れマイチャウに向かう。

 マイチャウの入り口には、観光客から入村料をとるべく、数人が詰めている検問所がある。
しっかりと6、000ドンとられたが、ここでの徴収はあまり多くないらしく、みんな手持ちぶさただった。
それとも役人はあの中の1人だけで、他の人は何だったのだろう。
徴収する役人の隣の部屋で、みんなで食事していたからなー。

 検問所から田圃の中を20分くらい走ると、ちょっとした街を通る。
それを抜けたところに小さな集落がある。
まわりを田圃で囲まれたこのマイチャウは、ハノイから150キロほど北の小さな村で、手工芸が売り物である。
タイのタイ人と親戚関係らしいベトナムのタイ人が住むこの村は、全部で20戸ほどの高床式の家が密集している。

 その各戸が高床になった地面の上で、機織りをおこなっており、上が住まいになっている。
わが国と同様、ここでも機織りは女性の役割である。
にこやかな笑顔でゆったりと機を織っているのが、木立のあいだに見える。
展示即売もしており、織り上がったものが家のまわりに並んでいる。
家と家のあいだには小川が流れ、長閑な雰囲気である。

 どの家も大きく、10メートルかける20メートルくらいの広さがある。
そして、その母屋に連結されたように、やはり高床の台所が続いており、そこで食事を作るのである。
この大きな家は柱梁式の木造で、壁には板がはめ込まれており、床には竹の割ったものが敷いてある。
竹の隙間からは下の地面が見える。
ツアンさんはその隙間から、煙草の灰を落としていたが、台所も竹の床張りで、火を使うところだけ石が敷いてある。
もちろん壁は板か竹で、そこで裸火を使うわけだが、ちょっと火の用心が恐い。

 どの家も裕福そうな感じである。
庭には井戸があり、釣瓶が井戸の中へと落ちている。
井戸の隣には、ビニールで囲まれた小さな部屋がある。
井戸に面した一方のビニールが跳ね上げ低ある。
最初は1.5メートル四方のそれが、何だか判らなかった。
すべての家にあるわけではない。
よく観察すると、村の入り口に近い家にだけあるようだ。
結局、今夜はここに泊まることになり、それが何であるか判ることになる。

マイチャウ近くの村で

 この村は手芸を売り物にしているが、観光にも力を入れているらしく、外国人を見ると気軽に声をかけてくる。
そして二階へ上がれという身ぶりをする。
それが何を意味するかは、もうお判りだろう。
お茶がでて、つぎつぎと織物が床に広げられるのである。
インドやアラブの商売人とは違って、いたってあっさりした対応だが、貧乏な僕は何も買わなかった。
そして同時に、そこは宿屋にもなるのである。

 僕の泊まった家は、入り口に近いところにあった。
近所を歩いてみる。
近くの河には、日本政府の援助でできたコンクリート製の立派な橋が架かっていた。
僕の泊まった家には、先客があり荷物がおいてある。
彼等はイギリス人の3人組で、女性2人と男性である。
ハノイから来たらしく、ベトナム人女性のガイドと一緒である。
この女性がけっさくで、とにかくお金お金なのである。
ツアンさんと僕のあいだを通訳してくれたが、冗談まじりながらそれにもお金を要求してきた。
でも、とても気のいい人で、まったく憎めない。

 ガイドの女性がツアンさんとの間を通訳してくれたので、お互いの情報がやっと知り合えた。
彼は生粋のハノイっ子で、生まれも育ちもハノイ。
今住んでいるのもハノイなのだそうで、サパには外国人を案内して行っていたのだそうだ。
英語がまったくできなくて、外国人の案内ができるか不思議。
言葉は習わないのかと聞くと、もう歳だから諦めていると言う。
運転免許証を見せてくれたが、1950年生まれだから48歳か49歳である。
24歳と17歳の女の子が2人おり、長女はベトナム航空のスチワーデスだと、とても自慢げに言って、財布から娘の写真をとりだした。

 食事の前に、シャワーを浴びることになった。
台所棟のほうに、シャワー室がある。
1.5メートル四方のそこは、トイレも兼ねているらしい。
板壁で、床にはタイルが敷いてある。
裸電球があるが、でるのは水。
つまり、さっき見たビニールの囲いは、シャワー室だったのだ。

 お客が多くなり、トイレ兼用のシャワー室が1つだけでは足りなくなったのだ。
それで、井戸の近くにもう1つ作ったと言うことである。
僕の泊まった家は、客が多いせいでか、庭にはブロック製のシャワー室が2つも造られていた。
室内のシャワー室には便器はなかったが、庭のシャワー室にはしゃがむのには、ちょっと勇気がいる洋式便器があった。

 食事になると、低いテーブルが登場する。各グループが、それぞれ車座になって食べるのである。
イギリス人の3人組が1グループ、それに僕は1人だけ。
家の人たちは、また2・3人ずつ車座になる。
ツアンさんは、家の男性たちと一緒のグループにはいる。
他に人たちが誰かと食事しているのに、僕だけが1人というのは寂しいので、ガイドさんを誘う。

 彼女は独身で、結婚に憧れている。
どんな男性が希望かと聞くと、開口一番
「背の高い人」
という返事。
これには吹き出してしまった。
次ぎに、大学を卒業した人と言う。
3番目が安定した収入だそうで、ちょっと前に日本でも言われた三高の話を思い出した。
何とその条件に当てはまるボーイフレンドがいるのだそうで、その話をする彼女はるんるんだった。
そして、彼女が言うには、外国の企業は高給だが、何時なくなってしまうか判らない。
だから、安定したベトナム企業で充分とのことだった。
本国が不況で、ベトナムから引き上げた韓国企業のことを思い出す。

 食事のメニューはなかなか豪華で、肉野菜炒め、鶏肉の揚げ物、ベトナム名物の揚げ春巻き、それにスープとご飯である。
なぜかポテト・チップスが一緒にでてきた。
ご飯はお変わり自由で、途中で足しに来てくれる。
僕のテーブルは、1人前でも凄いボリュームである。
男性たちはジョを飲んでいる。
女性たちはお酒を飲む習慣がないようだ。
ツアンさんが僕のところにジョを持ってきてくれる。

白い蚊帳が美しい

 大きな家の内部は、間仕切りがない一部屋である。
そこに各自の蚊帳を吊って寝るのだが、しろい蚊帳が並ぶ様はとても風情がある。
その中に寝ることが出来たのは、貴重な体験だった。
この家は、おじいちゃん・おばあちゃんと若夫婦、それにご主人の兄弟が2人と子供が2人という8人家族らしい。
宿泊費は50、000ドンで、夕食費が30、000ドンと朝御飯が3、000ドンの、合計83、000ドンだった。

 このまま行くと明日はハノイに着く。
しかし、ここからハノイまでは150キロ。
昼頃には着いてしまう。
そこで、明日の予定を検討する。
ハノイを離れたこのあたりになると、日本のガイドブックはまったく役に立たない。
イギリス人からガイドブックを借りる。西洋人たちが使っているガイドブックは実に細かく記されている。
そのガイドブックから、チュア・タイという寺院を発見。
ハノイへの途中で寄ってくれるように、早速ツアンさんと交渉する。
しかし、寄り道はできないと言う返事。
そこで、一番近い街で降ろしてもらい、僕はバイク・タクシーで行くことになった。
イギリス人3人、ガイドのベトナム女性、それに僕の5人で話をしながら、マイチャウの夜はふけていくのだった。

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