団塊男、ベトナムを行く    ハノイの北は  
1999.6.記
1.ハノイ到着 2.ハノイの旧市街 3.ハノイの街並み 4.ハノイ郊外
5.サパへ .サパの蝶々夫人 7.ラオチャイとカットカット .ソンラーへ
9.ランクルの旅へ 10.ディエン・ビエン・フーへ 11.マイチャウから 12.チュア・タイ寺院
13.観光地ビック・ドン 14.ホテル:メトロ・ポール 15.さようなら

       

2.ハノイの旧市街

 メトロポールを出ると、シクロのおじさんが声をかけてくる。
乗らないよと、首を横に振りながら、きちんと区画された街を歩く。
車道と歩道もはっきりと分離され、歩きやすい。
すぐにホアンキエム湖の畔に出た。
それを左手に見ながら、北つまり旧市街へと向かう。
1キロも歩いただろうか、街のようすが碁盤の目のようだった今までとは違った。
いかにも古くからの繁華街といった感じである。

ホアンキエム湖の畔で将棋に興じる人たち


 とにかく繁華街の中心をめざして歩く。
この繁華街は、おそらく500メートル四方くらいの範囲にはいるのだろう。
歩道には屋台や露店がならび、オートバイや車がひきりなしに警笛を鳴らしながら通る。
やっと対向車がすれ違えるくらいの道の両側には、衣類、食品、時計、食堂などなど様々な商店が軒を並べている。
その中からホテルを探すのである。

 東南アジアの街では、繁華街にあるのは安ホテルと決まっている。
まず手始めに、あたったホテルは15ドル。
高い。
次。
12ドル。
まだ高い。
すると、ゲストハウスと言う看板が目に入ったので、その店に入ってみる。
しかし、ここには空き部屋がなかった。
そこで、安いホテルはないかと聞くと、何と隣だという。
あれーと思いながら隣の店に行くと、それは眼鏡屋だった。
その奥にカウンターがあって、ホテルもやっているようなのである。
カウンターにいた若い女性が、安いからここに泊まれと薦めてくれるが、とりあえず部屋を見せて貰うことにする。 

 10畳くらいの部屋に、大きなベッドが壁際に一つ。
テレビや扇風機もあるし、冷蔵庫もある。
お湯の出るシャワーもある。そこで値段を聞くと、6ドルだという。
繁華街の中だし、何かと便利そうなので、ここに決めようとする。
ドンで払いたいと言ったら、10万ドンという。
それを8万ドンに値切って、交渉が成立。

 今夜の宿が決まった。
しかし、よく部屋を見ると、なんだかラブホテルのような雰囲気もある。
ちょっと不安になったが、韓国のソウルでもこんなホテルに泊まったことを思い出して、ここで良いことにする。
初めての街で、最初の宿探しはなかなかやっかいなものだ。
パスポートや入国カードを見せて、チェックインした。

 荷物をほどき、早速カメラを持って街へ出ることにする。
どこに行くというあてはない。
ただ足の向くままに歩くのだが、なるべく人が大勢いる場所をめざす。
この繁華街は、道が直交しているので、地図がなくても迷うことはない。
次の辻を曲がってみる。突然、赤い旗が店先に所狭しと並んだ店が出現した。

 その通りは、赤い旗を掲げた店ばかりである。
ここはハンクァット通りと言って、葬儀の道具や仏具を売る専門店が密集していた。
この旧市街は、それぞれの専門店が、ある通りに集中しているようだ。
他にはどんな店があるのか、楽しみにしながら歩き続ける。
このあたりは外国人観光客も多く、街の人々は外国人に特別の興味を見せない。
客待ちのシクロが声をかけてくるだけである。

 1時間くらい歩いただろうか。
日も暮れてきた。
お腹もすいてきたので、食べるところを捜す。
まだ物の値段が判らないので、どこに入って良いか見当がつかない。
このあたりなら、どこに入ってもそれほど高くないだろう。
いかにも高級そうなレストランは避け、街の人が多く入っていそうな店を探す。

 通りから開け放った店の中にテーブルが並び、10人くらいの人たちが食事をしている店にはいる。
言葉が通じないので、ちょっと微笑んでから、隣のテーブルの人が食べている物を指さす。
しばらくすると僕のテーブルにも、具がたくさんのったうどんが運ばれてきた。

 初めての所で知らない人と仲良くなるには、このちょっと微笑むというのが大切である。
自分をいきなり指さされれば、誰でも不快になるだろう。
でも視線を合わせて、ちょっと微笑むだけで、互いの警戒心が解け、たちまち仲間意識が芽生える。
通常の状態であれば、初めて出会った人間同士が、いきなり敵対的な関係になることは、ほとんど無いと言っても良い。
むしろ友達になろうとさえしている。

 知らない人間だから、いきなり近づくわけにはいかない。
あたりの様子を見て、相手を観察しているのだ。
そこには敵意はなく、こいつはどんな奴だろうかという疑問が、生まれているだけである。
そこで微笑んでみると、相手はたちまち警戒心を解いてくれる。
なんだ普通の奴かと、相手は安心する。
日本では見知らぬ人間が微笑んだりすると、怪訝な顔をされるが、外国では決してそんなことはない。
言葉が通じなくても、いや言葉が通じないからこそ、微笑みは偉大なコミュニケーションなのである。

 うどんはフォーと言って、ベトナムではお馴染みの食べ物である。
鶏で出汁をとったフォー・ガーと、牛肉で出汁をとったフォー・ボーがある。
僕が頼んだのは、フォー・ガーである。
薬味の野菜がたくさんのっており、鶏肉も4・5切れのっている。
あっさりした中にも、こくのあるスープにやや細目のうどんがたっぷりと入っていた。
これにレモンや調味料をかけて、太い箸で食べる。

 テーブルの上には、30センチくらいの長さの竹の箸が、10センチくらいの直径のプラスティックの箸立てに刺さっている。
その反対側にはアルミ製の小さなレンゲが入っている。
そして、折り畳んだ小さなティシューが、針金のスタンドに刺してある。
ここでのフォーは、5千ドンだった。日本円にすれば50円と言ったところだろうか。

 食べ終わると、また街を歩く。
シン・カフェという旅行代理店を見つけた。
シン・カフェはサイゴンにもあった。
ヴェトナムのJTBのようなものだろうか。
ここで再入国ヴィザのことを聞いてみる。
机の前に座っていた男は、きれいな英語をしゃべったが、再入国ヴィザについては知らなかった。
彼は何度も電話をかけて調べてくれたが、とうとう判らなかった。
そして最後に、中国大使館へ行けといっただけだった。
どうやら中国往復は出来そうにない。ほぼ完全に諦めた。

 シン・カフェは、外国人を相手にした旅行案内をしており、様々なツアーを企画している。
壁には、それぞれのツアーの内容が写真入りで張り出されており、いずれもドル表示で金額が書いてあった。
そのなかにサパという文字を見つけたので、聞いてみると火曜日だけの出発だという。

 列車でラオカイまでいけば、サパへはバスが出ていると教えてくれた。
中国へ行くにしても、ラオカイが国境の町になる。
そういえば、メトロポールのコンシェルジェもラオカイと言っていた。
9時20分発の夜行列車があると言っていたのを思いだした。
明日、列車の切符を買いに行くことにする。

 シン・カフェを出てみると、その通りの両側には、同じように外国人観光客を相手にした旅行代理店が何軒かあった。
しかも、それらの店にはコンピュータが並べられて、白人観光客らしき人たちが、さかんにコンピューターをたたいていた。
看板にはインターネットと書いてある。
入ってみると、1分間500ドンでコンピューターを使わせるのだという。

 今日、ハノイに着いたばかりだから、メールを送ることもない。
いずれこの旅行の最終日にはハノイに戻って来るのだから、帰りに借りることにして、今は眺めるだけにした。
インターネットの普及は凄まじいものがあるとは聞いていたが、社会主義国の首都ハノイにまでインターネットかと驚いた。
外へ出ると、すでに完全な夜のたたずまいである。
ホテルに帰ることにしよう。

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3.ハノイの街並みへ