奈良に遊ぶ  
2007.9.10−記
伊賀まで 伊賀から室生寺へ 室生寺にて
法隆寺の中庭 法隆寺から西の京へ 新薬師寺から白毫寺へ


第3日目   法隆寺から西の京へ  

 法隆寺はこの中庭だけではない。
中庭をでると、拝観順路は宝蔵院へとむかう。
宝蔵院は最近完成した建物で、完全空調のコンクリート製である。
他にも国 宝・重文がたくさんある。そして、いつもどこかで修理をやっている。
夢殿へと向かう途中では、今日も丸鋸の音がしていた。

夢殿・中宮寺への道には、誰もいない

 ほとんど拝観者がいない。
日照りのなか、のんびりと夢殿から中宮寺をまわる。
中宮寺は高松宮妃が造ろうと言いだしたらしく、吉田五十八の設計だという。
1968年に完成したお堂の拝観には、法隆寺とは別料金が必要である。

 このあと、法輪寺から法起寺へとまわる。
斑鳩の里を歩くのは、何年ぶりだろうか。
変わらない風景である。
 法輪寺の相輪の傾きを見る。
三重の塔の相輪は、まっすぐに立っている。
この三重の塔は再建である。
そのため、まだ真っ直ぐなのかも知れない。

 法起寺にまわる。

かつては大規模なお寺だったろうに、さびれている。
ここにも三重の塔がある。
相輪はと見ると、いくらか傾いている。
しかし、言われなければ気がつかない程度で、大した傾きではない。

 法起寺の裏のバス停から、西大寺までバスに乗る。
西大寺は大きな駅で、各方面への乗り換え駅でもある。
しかし、バス停との関係は不思議な具合で、バスターミナルと駅は商店の裏でつながっている。
駅まえでお昼ご飯を食べる。

 西大寺から西の京まで歩く。
かつて西大寺は東大寺とタイマンを張れたのだろうが、今では往時の見る影もない。
幼稚園を併設する街場のお寺さんだ。

 何百年も歴史のある幼稚園で、遊ぶ子供たちは、どんな教育を受けているのだろうか。
奈良には長い歴史がありながら、京都とは違う感じがする。

 バス停に小母さんがいる。
唐招提寺への道を聞いたら、唐招提寺へは遠いぞ、それより真光寺の蓮が見頃だから寄っていけ、と言われた。
すなおに従う。

 阪奈道路際にある真光寺も、古いお寺らしい。
本堂の前といわず裏といわず、あたり一面に蓮の鉢がおかれている。
鉢の1つ1つに名前が付いているのがおかしい。
蓮の花に触ってみる。


 真光寺から尼ヶ辻駅をへて、唐招提寺へとむかう。
小川にそって、田舎道を歩く。
車がとおれない細い道だ。
たしかに遠い。
日陰がほしい。
唐招提寺へは裏から近づく。

 唐招提寺は、工事中。
大きな素屋根がかかり、中はまったく見えない。
それでも拝観料はしっかりと取られた。

 近くに見える薬師寺へ。薬師寺はマネービルが上手い。
奈良の他のお寺も、薬師寺と同じように衰退したのに、このお寺だけはさかんに再建が進んでいる。
何とお金集めが上手いことだろう。
相も変わらず池田建設の施工である。

 しかし、奈良時代に戻ってみれば、お金集めが上手かったことにかけては、他のお寺だって薬師寺に勝るとも劣らなかっただろう。
時の為政者にとりいって、財源を引きだすことは、現代社会と変わることはない。

 違いは大衆が金持ちになったことだけだ。
お金集めの政治的な手腕において、何ら変わるところはない。
再建には税金の補助がでないから、法隆寺や唐招提寺の改修とは違い、すべてお寺の自力でやらなければならない。
お金集めには、より洗練された方法が必要である。

 興隆しつつあるお寺を見ると、篤い信仰心というより、金儲けの才能を感じる。
ここの拝観客は、法隆寺よりはるかに多かった。
お寺は宗教を核とする産業であり、薬師寺の住職は優れた実業家であろう。

 日銭のはいる観光寺は、銀行にとっても優良貸出し先に違いない。
現在の薬師寺は、古寺という鄙びた感じはいっさいなく、活力と活気を感じさせる。
これで何百年かたつと、薬師寺も文化財の集積地になるのだろう。

 電車に揺られながら、ホテルへと帰ってきた。
途中でボルヴィックを買う。
ところで、奈良の人々は、水を買う習慣はあるのだが、水の銘柄までは拘ってはいないようだ。
東京と比べると、奈良の水は、まだ美味しいのだろう。 
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