団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


02.昆明の街にて

 目が覚めたのは9時近かった。
朝寝をしたが気分は爽快、日本からの不快感はどこへやら。
まず風呂にはいる。
今回の旅は、あまり考えることなく出発しまった。
旅行計画の練り直しである。

 僕がアジアを歩くようになって10年。
ずいぶんと時間がたった。
今、アジア諸国はどこも急速に近代化している。
近代とは人間が神からはなれ、自分の足で自立した初めての時代である。
その恐ろしい近代が、今アジア諸国を襲っている。

 ついしばらく前の日本、それが今のアジアである。
僕は近代への道程をさがして、アジアを歩いている。
今回はどんな近代への道程をかいま見ることができるのか。
先行きを確認しながら、旅の計画をたてなおす。

 前回のベトナム旅行では、ビザの関係で中国に入れなかった。
そのため、ベトナムと中国の国境付近に生活する人たちと会うことができなかった。
今回の中国旅行の目標は、前回の旅行から引き継がれたもので、少数民族と会うことである。
それには、昆明から大理へと向かい、その付近を歩くことだ。
そして、少数民族のメッカ景洪へも行かねばならない。

 しかし、昆明の街も知りたい。
このホテルの料金を調べてみると、朝食付きの350元である。
もう1泊だけのためにホテルを移動するのは、何だかおっくうである。
ここにもう1晩泊まることにしたい。
本当の話は、僕のなかにまだ日本の金銭感覚が残っており、350元がそれほど高いとは思わなかったのである。

 フロントでその旨を伝えると、350元というのはホテルの手違いで入れてしまった部屋なのだそうである。
本来は450元の部屋だから、明日は450元を支払って欲しいという。
そんなである。
350元だって、僕の旅行でいえば高いホテルなのだ。

 450元なんて、とんでもない。
350元への交渉が始まる。
あっけなく結論がでた。
フロントマンが350元、OKと言ったのである。
400元を前払い。
50元は保証金だとか。
これで今夜の宿の心配はなくなった。

 元気になった僕は、すぐ街にでる。
北京路を北へと歩き始める。
あたりには、若いお兄さんがたくさんいる。
カードのようなものを手渡そうとする。
それを無視して交差点をわたり、広い通りを北上していく。
道の向こうに面白そうな路地が見える。

 車の流れを横切って、広い北京路を横断する。
僕は世界中のどこでも赤信号など無関心なのだ。
赤信号を守っていても、事故がおきたときには誰も責任をとってはくれない。
怪我をするのは、自分の身体である。
自分の行動には自分が責任をもつ。
自分の目を信頼する以外にはない。
渡れるときが青信号、それが外国を歩くコツである。

 4・5階建ての住宅密集地のなかへと、僕は入っていく。
路地の巾は2メートルもあろうか。
その道巾が10メートルと続かない。
すぐに11.5メートルに なり、1メートルになる。
そして、右に左にと折れる。
まったく見通しがきかない。
だんだんとその幅も狭くなっていく。
両側に迫ってくる壁は、きちっと立ち上がり、僕の視線をまったく受けつけない。
家と家のあいだにはまったく隙間がない。

 時々見える窓の中は暗く、室内での生活は伺い知れない。
中を覗きたいのだが、立ち止まって中をしげしげと覗き見る、そんな失礼なことはできないではないか。
どこからともなく監視されている感じもする。
古い建物が寄り添ってたつ街、よそ者を拒否する壁、これが都市の共同体という世界なのだ。
ひりひりとする 空気を感じながら、狭い路地をなかへなかへと入っていく。

 埃っぽい中に植物の腐ったような匂いが漂い、レンガの壁の向こう側には、小さな区画が積み重なっていることが判る。
そこでは人々の日常が営まれているだろう。
路地に面した開口部には、カーテンが下がっている部屋もある。
部屋の中は、ほとんどわからない。
昆明:都市の路地
路地裏のカード遊び


 カーテンがゆれた。
その隙間から覗かれる部屋は、3畳もあるだろうか。
壁の片側にはベッドのような物が置かれ、下着姿の女性が座っていたりする。
テレビ もある。
突然に見せられた部屋のしつらえに、僕は少し戸惑いながらなおも奥へ奥へと歩いていく。
ちょっと壁が空にぬけた。

 狭い部屋が、路地に開いている。
この部屋と僕のあいだには、ちょっとした温度の違いがある。
それでも馴染みのある空気だ。
中年の女性と目が合うと、どちらからともなくにこりと笑う。
あれほど煩かった表通りの喧噪はまったく伝わってこない。

 曲がりくねった路地の途中では、男たちがカードに興じている。
それをとりまく何人かの岡目八目たち。
僕も興味津々でのぞき込む。
にやっと笑う顔と顔。
にやっと笑ったここで、気持ちが通じているのだ。
男とは単純で愚かなものだ。
もうカメラを向けても許してくれる。
写真に写させて貰う。
しばらく観察して、また歩き始める。

 路地の巾はもう1メートルとはない。
両側の壁は身近に迫って、室内からの空気が路地へと流れこんでくる。
「公電」と書かれた紙が壁に貼りついている。
これらの家には、まだ電話がないのだろう。
赤い小さな電話機が、家の軒先に針金でくくりつけられている。
「公電」とは公衆電話のことらしい。
上の方から水し ぶきが落ちてきた。

 左へと曲がった路地は、行き止まりだった。
路地の巾はひどく狭くなっている。
窓から手が伸びてくれば、僕は捕まれそうなくらいに狭いところに彷徨い込んでいる。
振り返ってみれば、上の方から光が落ちていて、僕のいるところが明るく照らされいる。

 これ以上進むことはできない。
仕方なく引き返すことにする。
途中で老人とすれ違う。
彼は訝しげに僕を見た。
路地の入り口から、彼は僕のあとについてきていた。
ここの住人だろう。
軽く会釈する。
しかし、彼は怪訝な姿勢を崩さない。

 凝縮した都市の住居は、古くからの街である。
密集した部屋の集積。
目の前に見える部屋には、たよりなげな裸電球が一つ天井から下がって、辛うじて明かり が見える。
そこは暗く不潔で埃っぽい。
前近代の密集した住宅では、多くの人が住むことが最優先される。
快適な換気や採光をとることは、まだ考えられてはいない。

 上に伸びた建物の隙間には、わずかの光しか落ちてこない。
人は室内から路地へとはみ出してくる。
路地が室内の延長でもある。
隣りあって住む人たちが作 る、濃密な居住環境。
夕食に食べるものから夜の生活まで、互いにすべてを知り合っているのだろう。
だからもちろん、よそ者の侵入はすぐにわかる。

 来た路地を引きかえす。
男たちの遊ぶところまで来ると、反対側の路地へとふたたび迷いこむ。
ガラス越しに見える室内には、テーブルの上に麻雀のパイが散乱している。
雀卓が3台ほどある。
誰もいない。
雀荘なのだろうか。

 子供たちの声がする。
路地の中に小学校があるらしい。
その声に導かれて路地を進む。
小さな幼稚園があった。
子供たちは昼御飯の準備をしている。
なおも進むと、小学校が見えてきた。
僕は裏から小学校に近づいていたのだ。

 狭い路地から、巾5メートルくらいの広い道にでる。
右手には小学校の正門がある。
小学校の前は、差し掛けの商店街がずらっと並び、屋台の売店も軒を連ね ていた。
屋外である路地が室内でもある都市の共同体。
そこに生活する人々の体臭が、路地の空気に濃密な色をつけている。
路地からでた僕は、そこで緊張の糸 が少しほどけた。

 乾燥肉を天秤に吊して担いだ男が2人歩いている。
それを呼び止める中年の女性。
軽自動車が行き交い、ほこりを舞いあげる。
両側に並んだ売店を冷やかしながら、なおも歩く。
そろそろ腹が減ってきた。
幼稚園の食事を見たせいか。

 昼になったらしい。
道行く人たちが、白い発泡スチロールの箱を手にしている。
あれは弁当だろう。
日用の細々とした物を売っていた売店が、食べ物を並べた 食堂へと変わってきた。
あたりの匂いがかわる。
道がぐっと左へ曲がり、道幅が広くなった。
両側には屋台の定食屋さんがならび、人々は昼食の買い物に忙し い。

 目の前の屋台では、直径30センチくらいのお皿に、調理されたおかずが山盛りになっている。
10種類ではきかない。
新しい料理も運ばれてくる。
路上とい わず、室内といわず、幾つもテーブルが並び、10人くらいの人たちが食事をしている。
僕も食事にすることにし、そのうちの1軒にはいる。
こちらでは、どの椅子に座ってもかまわないし、どの屋台に注文してもかまわない。
どのテーブルへでも届けてくれる。
お互い様なのだろう。

 屋台のおかずを指さして、お皿に取り分けて貰う。
1品が1元で何種類注文しても、すべて同じお皿の上に盛り合わされる。
味が混じる、そんなことには無頓 着である。
僕は3種類ばかり注文した。
それが僕のテーブルへ運ばれる。
それにご飯とスープがつく。

 テーブルにおかれた箸立てから、きれいそうな箸を抜き取り、おもむろに食べ始める。
やや辛いが、味がよくしみ込んでいる。
肉も決して柔らかくはないが、がっちりとした味がある。
しっかりと噛む。
ご飯はぱらぱらのインディカ米で、おかずと良く合う。

 白米大食というのだろうか、こちらの人たちはご飯を大量に食べる。
直径が15センチくらいの浅い金属製のボールがご飯茶碗である。
それに山盛りになったご飯、これが1人前。
僕にはとても食べきれない。
おかずが足りなくなった。
屋台のところへいって、汁をご飯にかけてもらう。

 少しのおかずに白米大食は、わが国でもかつてそうだった。
精米された白米の大食は、ビタミンの不足が懸念される。
そこでビタミン強化米が売り出されもした。
こうした食事の中国人が、車中でよく居眠りするのもビタミン不足のせいかもしれない。

 中国語でまくし立てられても、まったく判らない。
顔かたちは同じだが、言葉がしゃべれない不思議な人間の僕。
ここには日本人の観光客など来たことがない らしく、あたりの人たちは珍しそうに僕を見る。
しかし、自分たちと同じものを食べている人間に、悪い感情を持つはずがない。
僕の顔を見ながら、みんなにこにこしている。
食べ終わってお茶を頼む。

「ツァ」
これがなかなか通じない。
何度か繰り返し、手振り身ぶりを交えるうちに、やっと判ってくれる。

 食後に飲むものといえば、中国だって同じだろう。
やがてポットからお湯が注がれる。
でもそれだけ。
場末の屋台では、お湯しかでないらしい。
これで3元である。
ご飯やスープは、おかずについて来るものらしく、特別に料金は取られなかった。

街中の肉体労働


 食事もすんだので、また歩き出す。
前衛路というやや広い通りへ出た。
ここは対面交通である。
前衛路を北上する。
道端に赤白のビニール・シートで囲われたところがある。
工事現場だった。
なかををのぞく。
土が掘られた底では人が働いていた。
彼等と笑顔をかわす。

 今日は昆明北駅まで行くつもりなのだ。
南に昆明駅があり、北に昆明北駅がある。
両駅の間は5キロ近く離れており、広い北京路が結んでいる。
ほとんどの長距離列車は昆明駅から発車するので、昆明駅は大きく昆明北駅は小さい。
しかし、昆明北駅付近も探検したいではないか。
しかも出札業務がオンライ化されたので、どこでも切符が買えるというのだ。

 前衛路から広い青年路へと入り、なおも北上を続ける。
青年路の電線はすべて地下に埋設され、広い歩道が両側にゆったりとある。
何事も桁違いな中国では、 街づくりも雄大で道は広い。
あたりには20階建てくらいの高層建築が建ち並び、そのスケール観に圧倒される。

 建物のデザインがいささか中国風である。
わが国の建築と比べると、細部のデザインが少し野暮ったく見えるが、全体の構成力は侮りがたいものを感じる。
コ ンクリートが打ち上がった建築の途中で、工事が止まっているものがあったりして驚く。
柱と床だけのコンクリートの黒い塊が、そびえ立つ風景というのも異様 なものだ。
人のいないコンクリート構築物のなかに、洗濯物が干してある。
警備員でも住んでいるに違いない。

 1時間ほど歩いただろうか。
動物園の前にでた。
このあたりでお茶にしたい。
しかし、喫茶店というものがない。
中国にはお茶だけを飲む、そうした習慣がな いのだろうか。
お茶は食事と一緒に飲むものであり、お茶だけで料金が取れないのだろう。
だから喫茶店がないに違いない。

 わが国だって、日本茶だけを飲ませる喫茶店などない。
そういえばヨーロッパでも、今日のようなコーヒーハウスができたのは近代になってからだという。
喫茶店というのも近代の産物なのだ。
イギリスのコーヒーハウスが、反体制運動の温床になったという本を読んだばかりだ。

 軽い食べ物も頼むことにする。
羊羹のように型に流したビーフンを、包丁でスティック状に切り、野菜と味噌で味付けたものを頼む。
残念ながらあまり美味くはない。
3分の1くらい食べただけで残してしまった。

 メンの本場は中国だとは知っていたが、ビーフンをこんなにも食べるとは知らなかった。
昆明では、明らかにラーメンよりビーフンのほうが多い。
その食べ方 にも様々あるようだ。
しかし、僕の他には客がいなかった店で、食べたこのビーフンがいけなかったようだ。
あとでひどく苦しむことになるのだが、この時は何事 もなく昆明北駅へ向かって歩き始めた。

 大きな橋を渡る。
この橋は川をまたぐだけではなく、下には道も走っている。
橋のたもとに「公厠」という文字を見つけた。
近寄ってみる。
公衆便所である。
わが国では中国のトイレは汚いので有名だが、まずは入ってみる。

 男子用が奥で、女子用が手前である。
男子用には小便器が6台、ブースが5つある。
ブースはきちんと囲まれており、トルコ式のしゃがむ便器が据え付けられている。
しかも水洗である。
意外なことにきわめて清潔だった。
しかし、ブースには扉はない。
身体の半分くらいが隠れるだけである。
隣同士は見えないが、通 路からは中が見える。
入り口で2元取られた。

 トイレから出てまた歩く。
歩道でカードをしている。
このあたりは開発が進んでいるらしく、建物はみな新しくなって高く大きくなっている。
そして、広い道路は車が走るだけ、人間の生活が見えるのは路地である。

 開発から取り残された道を見つけた。
5メートルほどの道幅だが、瓦葺きの古い建物が、今にも崩れそうな街並みをつくっている。
くたびれた服装の男たちが 大勢たむろしている。
昼間から酒を飲んでいるようでもある。
道の両側には露店もならんでいる。
そこでは僕にはがらくたとしか見えないものを並べている。

 たった100メートルほどの道だが、ここは北京路や青年路とはまったく違う。
ごみごみした空気、曲がった家並み、汚れた服の人々、何十年も前に戻ったようだ。
よく見ると、昆明には開発から取り残された場所が、まだところどころにある。

路上で麻雀に興じる

 シーツを日除けにひろげ、路上で麻雀をやっている。
男性が2人、女性が2人で卓を囲んでいる。
写真を撮らせてくれと頼んだが、厳しく断られてしまった。
将棋に興じる人たちは、快く写真を撮らせてくれるが、なぜか麻雀の人たちはどこでも写真に冷淡である。
しかし、そっと写真をとってしまった。

 大通りにでる。
職業紹介所が目に入った。
横15センチ、縦20センチくらいの紙が、壁一杯に貼ってある。
いろいろな仕事で求人されている。
雇用条件も細 かく書いてある。
まるでわが国の不動産屋さんのようだ。
給料は800元くらいが多い。
1000元を超えるものもある。
しかし、熱心に見入る人はほとんどい ない。

 昆明北駅到着。
明日の夜、大理へ向かうつもりである。
列車の切符を買うべく出札口へ向かう。
たくさんの出札口があり、その向こうに女性が座っている。
中国語が話せない僕は、端のほうにある窓口へと促される。
彼女は英語が少し分かるらしい。

 22時11分発 K446大理と書いた紙を見せる。
硬座か軟座か聞かれたので、硬座と答える。
コンピュータで管理された業務はどこでも同じである。
ただちに回答が来る。

「ネイヨー」
日本語のないよーではないが、意味は同じである。
切符はない。つまり売り切れだというのだ。

 大理行きの列車は、1日に1本しかない。
この駅ではよく判らない。
K446列車が出発する昆明駅に行ってみよう。
コンピュータで管理されていれば、昆明 北駅にないものは昆明駅にだってないはずである。
どこで買っても同じはずだが、何となく発車駅のほうが良いような気がする。

 街の探検を続けながら、昆明駅へと向かう。
昆明北駅付近からはたくさんのバスが出ており、バスを上手く使えば街のどこへでも行けそうである。

 中国のバス・システムは実に判りやすい。
バス停には、バス停の名前と路線の番号、それに停まるバス停の名前が路線毎に書かれている。
だから、バス停の看板と地図をよく見比べてみれば、たいがいのことは判る。
こうしたときに漢字はありがたい。

 バス停には、さまざまな番号のバスがくる。
そのたびに人が殺到する。
僕は昆明駅行きのバスに乗る。
1回乗車するたびに1元。
どこまで行っても同じ料金である。

 昆明駅着。
3階建ての駅舎の屋上には、昆明と金文字が掲げられている。
昆明駅は大きい。
駅前の雑踏からして、昆明北駅とは大違いである。
駅舎の前のベン チには、列車を待つ人がたくさん座っている。
駅前広場の右側には、長距離バスの発着所があり、大型バスが屋根にも荷物を載せてとまっている。

 駅にはひきりなしに車やタクシーが走りこみ、実にあわただしい。
左に見えるひときわ立派な建物が、切符売り場である。
駐車場と化した駅前広場をよこぎっ て、切符売り場に近づく。
最新型の電車のポスターもかかっている。
何だか切符がありそうな気がしてきた。

 建物に入る。がらんとしたホールの向こうには、20以上の窓口が並んでいる。
どこに並べばいいのだろうか。
大理と書いて、案内に座っているおじいさんに聞いてみる。
おじいさんはどこでも良いと言っているようだ。

 それぞれの窓口には、制服姿の中年女性が座っている。
適当な窓口へあたりをつけ、18日、大理−硬座と書いた紙を見せる。
窓口の女性が、両手をそろえて 頬にあて頭を傾ける。
僕も両手を頬にあて頭を傾ける。
これは眠ることを意味する世界共通のジェスチャーで、時にはホテルを、時には寝台車をあらわす。
他から 見れば大の大人が妙な仕草であろうが、これしか意志を通じさせる方法がないのだからしかたない。

 すると、切符があるではないか。
96元、無事に大理行きの切符が手に入った。
もう1枚、南寧行きの切符も買いたい。
昆明のある雲南省を歩いたあと広州へ戻るのだが、それを南寧経由の列車で行くつもりなのだ。
今度は23日、南寧−軟座と書いた紙を見せる。
硬座が二等で、軟座とは一等のことである。
193元 と高かったが、これも無事に入手できた。

 しかし、なんだか体の調子がおかしい。
まだ3時過ぎだというのに、とても疲れた感じがする。
しかも軽い吐き気とめまいがする。
無性に横になりたくなった。
切符を買うやいなや、ホテルに帰ることにする。

 ホテルは駅から近い。
歩いていける。
しかし、ホテルまで1キロくらいの道が遠く感じる。
路上で商売をしている人たちの間を縫ってホテルへ急ぐ。
あたりから立ち上る匂いが、押し寄せてくる。
気分が悪くなると、こうした匂いが辛い。

 金龍飯店にたどり着いた僕は、そそくさとベッドにもぐりこんだ。
途中でお湯を飲み、何度かトイレにいった。
下痢している。
少し寝汗をかいただろうか。
毛 布に身体を包み、じっとしている。
体が不調と戦っているのだから、犬や猫をみならって僕もとにかくじっとして動かない。
すべてのエネルギーを、体調不良の 回復に集中する。

 おそらく動物園の前で食べたビーフンにあたったのだと思う。
ビーフンそのものは植物性だから問題はないが、それに混ぜたものか食器か、何かがいけなかっ たのだろう。
食べてから30分くらいから気分が悪くなり、1時間で最悪になった。
かるい食中毒の症状に違いない。

 あの店には僕の他に客がおらず、店の女の子は炎天下に剥きだしにしたビーフンから切りだしたのだ。
はやっている店で食べろという教訓を思いだした。
昆明2日目の夜は、こうして過ぎていった。
広告

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