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職場でも、鈴木清が、未婚で子供を持ったと言う噂は一巡し、すでにその話題は鮮度が落ちはじめていた。そんなとき昼休みに、町田直美がたずねてきた。 「鈴木さん、赤ちゃんが出来たんですって」 「うん、名前はリン。女の子。父あり、母なし。祖父母あり」 「きいた、きいた。お母さんのいない子か。お父さんのいない子っていうのは、聞いたことあるけど、お母さんのいない子ってなんて言うんだろう」 「足なし子って言うんだよ」 と、鈴木は言った。 「えー、足がないの」 町田直美はその意味が判らなかった。 「だって、ててなしごっていうだろう」 「なーんだ、冗談か。余裕ね」 「父はつよし。僕は清ですが」 「もうこの話しは、方々で聞かれたでしょうね。だって、未婚の父って、かっこいいもんね」 「それがさ、直美ちゃんみたいに、面と向かって聞いてくる人は、意外に少ないよ」 「あら、図々しかったかな」 「陰でこそこそ言われるより、ずっといいからね。だって、本当は聞いて欲しくて、しかたないんだよ」 「でもさ、鈴木さんが子供を持ってから、女性のあいだでちょっとした、波風が立っているのよ。知ってる」 「どんな」 「男性が独身のままで、子供をもてるってわかっちゃたでしょ。女には、もっと簡単なことだって」 「もちろん」 「だから、旦那はいらないけど、子供は欲しいって子が、マジに考え出したのよ」 「なにを」 「子供だけ産もうって子がいるのよ」 「でも、女性の場合は大変だろ。妊娠するのは女性だから。妊娠中、仕事はどうするんだろう」 「それだって、公務員だよ。私は妊娠していますって、開き直ればいいわけでしょ」 「まあね。僕なんか、残業はしませんって宣言したら、それでとおっちゃたからね」 「腹をくくれば、できるわけよ。いい子になろうとするから、大変なのよ」 「腹がでれば、まわりが引っ込むって言う、言わないか」 「お腹さすりながら、仕事をしていれば、そのうち産休になるでしょ」 「そうだね、女性の場合は産休制度があるからね。やる気になれば、わりと簡単にできるかも知れないね」 「子供は、親がみてくれるから、産休だって、ゆっくり休めるし」 「僕なんか、産休はないからね」 「育児休暇をバッチリとって」 「僕には育児休暇も取りづらいし」 「母子家庭だと保護と援助がてんこもり」 「よく知ってるね、父子家庭には何の保護もないけど、母子家庭には手厚い援助があるんだよ」 「女はか弱いし、稼ぎが少ないから、保護が必要なんです」 そう言って、町田直美は舌をだした。鈴木清もつられて笑った。 「あはは…。今の女性がか弱いって、大ウソ」 鈴木清は、女性がか弱かったら赤ん坊など産めないじゃないか、そう考えていた。 「でも、赤ちゃんてかわいい」 「そりゃ、もちろん。なんせ、夢にまで見たからね」 「赤ちゃんのことを」 「そう、赤ちゃんを抱いている夢をよく見たんだよ」 「そんなんだったの」 「今度、連れてこようか」 「でも小さな子供を、連れて出るのは大変でしょう」 「電車はダメ。とにかくリンと出かけるときは、重装備だからね。それに、外じゃおしめを替えるところもないし」 「女性用のトイレには、おしめを替えるベットがあるわよ」 「僕が、女性用のトイレに入るわけにはいかないじゃないか。いくらおしめを替えるためだって」 「そうか」 「男が、赤ちゃんの世話をできるところは、ほとんどないんだよ」 「そういうのって大変だね」 「ぜんぜん」 「どうして」 「そんなのすべて、調査済みだから。妊娠しているあいだに、調査をしたんだ」 「ふーん」 「それで、電車での外出は不可能って結論だったんだ。リンができたら、車ってことに決めていたから、問題は何もないですよ」 「さすがね」 「だから、車もワンボックスにしたし、車にもベビーベットをセットしてあるし、車ならどこへでもいけるよ」 「でも、それで会社に来るのは大変だから、私たちが鈴木さんの家に行くわ。そのほうが楽でしょ」 「おいでおいで」 「土曜日か、日曜日あたり、都合のいい日にね」 「男はいらないけど、子供が欲しいって女の人は、ひょっとすると、町田さん」 「ふふふ…」 町田は、否定も肯定もせず、意味ありげに笑った。 「わかった。いいよ、リンができてから、休みはほとんど家にいるから、いつでも待ってるよ」 と言って、鈴木も笑った。そこへ、柏木啓一が来た。 「最近どうだい」 「今、町田さんがリンのことを聞きに来たけど、まあ、騒ぎはおさまっているよ」 「何がいちばん大変だった」 「なにも」 「未婚の父だもの、そんなことないだろう」 柏木啓一は驚いた。町田直美が言う。 「鈴木さんは、準備がよかったのよ」 「大変だって思っているから大変なんで、子供第一ってすれば、どうってことないよ」 「やったほうが勝ちでしょう」 「もう子供がいるんだから、今さらどうもできないじゃないか」 「たしかに、やったほうが勝ちだよね」 「子供がいるのに、誰もああせいこうせいって言えないよ」 「他の誰かに、喰わして貰っているわけじゃないしな。他人の子供に、誰もとやかく言える立場じゃないからな」 「男のほうがオッタキーだから、子育てには向いているかも知れないわね」 「子育てオタクだよ、僕は」 「子育てオタクか。いよいよ子供も趣味の対象となったって」 「まわりの気分をうかがっているから、好きなことができないんだ」 「ところで、未婚の父は、リストラの対象か」 と、柏木啓一が聞いた。 「まさか、公務員だぜ、俺たち。ちゃんと働いて、勤め人の仁義は守るよ。会社には迷惑をかけないさ」 「うん」 「うちの会社は、遠くへの転勤もないし、居心地はいいからね。職場は生活のもとだもの、仕事は大切にするさ」 「たしかに」 柏木啓一は、自分が鈴木清のように、未婚の父になるつもりはなかった。しかし、鈴木清の生き方を、特別なものと見る気もなかった。鈴木清は、ただ子育てにオタクなのだと考えただけだった。 「ところで、町田さんたちと一緒に家へ来ないか。僕のリンを見に」 と、鈴木清が言った。 「鈴木清さんの赤ちゃんを見に行きましょうよ、柏木さん」 と、町田直美も柏木を誘った。 「やったもん勝ちか」 と、柏木啓一はつぶやいた。 |
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<了> | ||||||||||
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