ハーイ ベイビイ
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 初めてリンを家に連れてきたときとは、家の様子がまるで変わってしまった。今や源三は、リンの顔を見ないと不機嫌ですらある。
「ほら笑ったよ、かわいいね。リンちゃん」
と和子が言うと、源三は
「ベロベロバー」
と、鬼瓦のような厳つい顔を嬉しそうに崩した。
「もう、少しは判るのかな」
と鈴木清が言うと
「人間の子だもの、もうわかるわよ。おじいちゃん、タバコは止めて下さい」
と和子が言った。
「おじいちゃんだって。いつから、俺はおじいちゃんなんだ」
「リンからみれば、おじいちゃんでしょう。ねえ、リンちゃん」
「まあー、そりゃそうだが。だが、わしはまだおじいちゃんと呼ばれる歳ではないわい」
「いえ、もう充分におじいちゃんです。ねえ、リンちゃん。頑固なんだからね、おじいちゃんは」
「…」
「タバコを吸うなら、外へ出て下さい。リンちゃんが来てから、この家は禁煙ですからね」
「そんな」
「だって、タバコは吸っている本人だけじゃなくて、まわりにも悪いんですからね」
 和子はリンのことになると、俄然、強気になった。
 鈴木清を育てたときのことは、すでに忘れていたが、当時は源三も現役の職業人だったから、専業主婦だった和子がとがめることなど、できるものではなかった。なんでも源三の言うがままだった。
 去年、源三が定年退職すると、微妙に二人の力関係が変わってきていた。リンの登場はそれを加速させ、和子の発言権をより大きくさせたのである。
「リンを抱くときは、手を洗って下さいね」
和子は、ダメを押した。
「リンの前では、タバコは止めてくれよな。親父」
「あーあ、わかったよ。しかし、わしにも、リンをだかせろよ」
「大丈夫ですか、お父さん」
「おーよしよし、ほらこのあたりは俺に似ているんじゃないか」
鈴木清は、源三のこんなあどけない顔を見るのは、生まれて初めてだった。
 リンはまるで三人のおもちゃである。鈴木清は、子供を持って本当によかったと思った。
「清が結婚しないんで、わしゃ孫はできないもんだと、あきらめていたんだ。よその家の子供を見ると、うらやましかったよ」
「へー、お父さんもそうでしたか。私もそうでしたよ。清の結婚より、孫が欲しかったですよね」
「ところで本当に、この子はわしの孫かな」
「まだそんなことを言っているんですか」
「いや、男には、自分の子だかどうかわからんところがあるのだ。まして、いきなり孫だって差し出されると、心構えができてないもんでな」
「うちの子ですよ」
と、和子は断言した。
「僕は、そんなこと感じないよ。ずっと見てたからね」
「男は迫り出してくる女房の腹を見て、覚悟をするのかもしれん」
源三は言葉を続けた。
「たとえ、それが誰の種でもいいんだ。とにかく自分の女房から、おまえの子だって差し出された子が、自分の子供なんだ。男にとってはな」
「何ですか二人とも。子供は子供です。かわいいじゃないですか」
「ほんとだな、笑うとかわいいな。よしよし。この家にずっといていいんだからな、リンちゃん。よしよし」
源三は目を細めて、リンを抱いた。
「あっ、そんな抱きかたしちゃだめですよ」
と和子が言うと、リンが泣き出した。
「ほら泣いちゃった。かして下さい」
「お腹がすいたんだよ」
そう言いながら、鈴木清が哺乳瓶にミルクをつくってきた。鈴木清は、哺乳瓶を自分の頬にあてながら、温度を確認した。
「ほら、リン。ミルクだよ」
と言って、リンを抱き上げた。

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