ハーイ ベイビイ
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 鈴木清が家にリンを連れてきて、今日で二週間が過ぎた。最初は戸惑っていた両親も、いまではリンのいる生活が、当たり前になりつつある。
 日曜日の午前中の居間。すでに昼に近い。のろい陽のひかりが、ゆったりと畳の上に拡がっている。
 その畳の上で、鈴木清はリンの相手をしている。
「ほら、ほら、ここだよ。いい子だね。おいしいかい、リン」
それを見ながら、和子がいった。
「清は良くやるね。みなおしたよ」
「夜起きるのも、もう慣れたから」
「夜、ミルクをやるのは、大変だね」
「いや、最初は三時間おきってきてたんで、目覚ましを三つかけて寝たんだけど。目覚ましで、リンが起きちゃうんだ。寝ているリンをおこしてまで、ミルクをやるのは止めたんだ」
「それにこの子は、あまり泣かないよ。清は大変だったんだよ。夜泣きがひどくて。そのたびに、母さんはおまえをおぶって、近所を一回りしてきたんだよ」
「夜泣きは、まだだよ。もう少したたないと判らないよ。僕の子だから、夜泣きするんじゃないか」
「清がリンを連れてきたときは、驚いたけれど、考えてみれば、昔は五〇近くになっても、子供を産んでいた人だっていたんだよ」
「昔の人のほうが、若くして結婚して、若いうちに子供を産んでいた感じがするけどね」
「確かに、はやくに結婚したもんだよ。母さんだって、二〇才で結婚して、二一の時には清を産んでいたからね」
「…」
「昔は避妊なんてことをしなかったから、いくつになっても生まれたんだよ。四〇過ぎの子は、恥かきっ子なんて言われたけど、生まれてくればかわいいものでさ」
「子どもが成人するときは、還暦をすぎているのか」
「それまでの子供と、歳が離れているでしょ。それが不憫で、また、かわいいんだって。近所のおばさんが言っていたわ」
「そのおばさんが、五〇近くで子供を産んだとすれば、今の母さんの歳と、全然違わないね」
「そう、それに、そのおばさんは、他に五人も子供がいたんだよ。最初の旦那さんが早くに亡くなって、再婚したんだけど、前の旦那さんとの間に二人子供がいたんだって。でも、その子供たちは実家に置いて再婚したんだって言っていたよ」
「それじゃ、その子供たちは、おじいちゃんやおばあちゃんがめんどうを見たの」
「詳しいことは判らないがねー。昔は今と違って、子供が多かったから、なんとなくごちゃごちゃしているうちに育ったんだよ。かんたんに里子にだしたり、養子にだしたりも多かったしね」
「子供が出来ない家だってあったろう」
「だから、そんな家じゃ、養子を貰うわけだよ」
「子供を産んだことがなくても、子供を育てられるんだ」
「夜店で買ってくるヒヨコは、すぐ死んじゃうけれど…。人間の子だもの、その気になりさえすれば、誰にだって育てられるのよ」
「そうか…」
「男のおまえだって、現にリンを育てているじゃないかい。手間がかかるけどね、子育てなんて、そんなに難しいことじゃないんだよ」
「昔は、家族が多かったしね」
「いろんな家があったよ。旦那さんが死んでから、ずっと一人暮らしっていう女の人もいたし、母さんの田舎には一家一二人なんていう、とんでもないお寺さんもあったよ。いろいろだったね」
「今じゃ、どこも一人っ子か二人っ子。どこの家も同じようだね」
「みんなと同じになるのが、いいって思っていたからね。サラリーマンと結婚して、子供を産んで、家を買って…」
「結婚しないで、子供を持つなんて考えもしなかった」
と鈴木清が聞くと、
「そんなこと、おまえ、考えないね。まず結婚しなけりゃ、生きていけなかったもの」
「生活のために結婚したんだ」
「でも、清。良かったかも知れないよ。お嫁さんが来れば、どんなにいいお嫁さんでも、そりゃ気を使うしね。若い人と住むのは難しいよ」
「相手も気を使う」
「それに清が結婚して家を出るっていえば、寂しくなるじゃないかい」
「結婚して、僕がアパートに住むっていえば、母さんたちは反対できないしね」
「リンには、気を使う必要もないし。孫はかわいいからね。ゲートボールなんて嫌だよ、年寄り臭くて」
「まだ、体も丈夫だし、孫は生きがいにもなるし」
「初めは驚いたけど、別にお嫁さんは、いらないんだよ。孫さえいれば」
「嫁姑の諍いは大変らしいから、そのあいだに挟まれなくて、僕もよかったよ」
「いままでは世間の目を気にして、決められた人生しかないように思っていたけど、いろいろな生き方があってもいいんだよね。もう年だから」
「もっとも、母さんが昼間、リンを引き受けてくれると思っていたんで、子供を産んで貰ったところもあるんだけど」
「そうだろ、一人じゃ育てられないよ…。子供をおいては会社にいけないもの。もう、リンは寝たのかい」
「さっきミルクを飲ませたから、しばらくは寝ている。次は、一時頃かな」
「清も良くやるね。会社があるから、夜起きるのは出来ないと思っていたんだけど」
「だって、僕が望んだ子供だもの。それに、辛くはないよ。子供っておもしろいよ」
「大変なのも、一時だからね」
「こんなおもしろいことを、なぜ女たちにだけやらしていたのかと思うと、不思議だよ」
「おかしな子だね、清は」
「子供が好きなだけで、僕はちっともヘンじゃないよ」
和子はやや不安気に言った。
「でも、母親のいない子は、どういう大人になるのかねえ。母さんはそれが心配だよ」
「外国じゃあ、片親で育つ子供はたくさんいるんだから、特別なことはないと思うよ。普通の大人になるよ」
「でもね…」
「いろんな家庭があったって言ったばかりじゃないか。だいたいさ、人を見てさ、この人は片親だなんて分かるかい、母さん」
「たしかにね。大人になってしまえば、片親だったなんて誰にもわからないがね」
「とにかく元気に育ってくれれば…。元気が一番。それ以上の望みは何もないよ」
「それはそうだね、とにかく健康が一番だね。いい学校へ行ったって、大して変わらないからね、そう思うよ」
「でも、リンが大人になる時か…。もうすぐ受験の話なんかして」
「リンは、どんなお婿さんを連れてくるのかね。そう考えると楽しみだね」
「また、子供を連れてきて…、未婚の母だったりして」
といって、鈴木清は笑った。
「まさか…」
和子もつられて笑った。
「明日、定期診断に医者へいってくるよ」
「どこのお医者さんに行くんだい」
「川田医院にしようと、思っているんだけど」
「そうだね、川田先生なら、清の小さい頃からお世話になっているからね」
「うん」
「でも、川田先生も驚くだろうね、母親がいないって聞いたら」
二人はそう言いながら、笑った。

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