調子の悪かった身体も、徐々に回復してきた。
今日は午前中を使って、電車に乗って郊外に行こう。
今バンコックではMRTの延長工事の最中で、数本あるMRTの終点から延長工事が続いている。
郊外といっても、30分でMRTの終点だから、それほど遠くへまで行けるわけではない。
それでも街の中心とは、ずいぶんと様子が違う。終点の近くにある市場に行く。
しかし、その道すがら、干物を作っているところを通った。
その干物は近くの川から捕れた物と思われ、あまりの汚い川に食欲が消え失せた。
その後、バンコックで魚料理を食べる勇気がなくなった。
市場は他と変わらず、まさに市場であるから素通りして、近くのお寺に行く。
このお寺が不思議な雰囲気で、代々の教祖らしき人物の写真が、門から入った壁に飾ってあった。
そして、本堂脇の建物の屋上には、金色の座像が安置されており、これが開祖かと思う。
何だか新興宗教のような感じだった。本堂への廊下には小さな鐘がずらっと並び、それなりの寺院らしさを演出していた。
MRTにのり、街に戻る。ちょっと面白い物を発見した。
子供の身長の絵が描かれており、○○センチ以下は無料、○○センチ以下は鉄道記念日には無料と書かれており、
我が国の年齢による区別より合理的で、分かりやすいと感心した。街を歩いた後、一度ホテルにもどる。
ムエタイを見に行く
夕方から、ムエタイを見に出かけた。
ホテルからタクシーで会場に向かうが、夕方のラッシュにぶつかり時間が気になる。しかし、開演前にはスタジアムに到着。
すでに人でごった返していた。
ボクの買ったリングサイドのチケットは、観光客向けらしく日本人が他に4人と、あとはほとんどが白人たちだった。
地元の人たちは、入場口こそ同じだが、それから先は別だった。
リングからやや離れた客席に陣取っている。夕方7時頃から始まって、11時まで9試合が戦われた。
最初は初級、そしてだんだんと強いクラスになっていくが、メーンイベントは7試合目であった。
それ以降は見るからに子供のように若い初級者になった。
若いといえども、いずれもよく鍛えられた身体で、柔軟な動きを見せる。
しかし、観客は正直なもので、どんどんと帰り始めてしまった。
試合は一種の儀式から始まる。相撲の仕切りと同じで、試合前には入念な踊りが繰り広げられる。
様式化された動きは、神様に捧げている様子がよくわかる。
3分5ラウンド制で、2分の休憩が入る。ボクシングに比べると、テンポがのろいようだ。
それでも2試合目にはノックアウトされ、負けた方は担架で退場していった。過酷なゲームであることには違いない。
数ある試合の多くは判定だったが、面白いのは試合の行方がハッキリすると、それ以降は戦わなくなってしまうのだ。
劣勢を認めた方は、5ラウンドあたりになると、ファイトせずにゆっくりと身体を動かすだけ。
リングの周辺をぐるぐる回っており、レフリーも戦うように促さなくなる。
観客からもブーイングの声もおきない。
5ラウンド終了のゴングがなると、敗者は黙ってリングを降りてしまう。
このスタイルがいかにもタイらしく、悠揚とした良い雰囲気だった。もちろんリング上に残った勝者は、勝ち名乗りを受けていた。
見物は試合もさることながら、観客席こそ注目すべきで、できればあの中に入っていたかった。
常連らしき<おじさん>たちが、河岸の競りよろしく手で符丁を送り合っているのだ。
一人の<おじさん>が、チョキのような仕草や握りこぶしを宙にかざす。
すると観客席の<おじさん>たちも、それに応えて手で合図をかえす。
つまり賭けており、数を揃えているようなのだ。
その熱気たるや、遠く離れたボクのところまで伝わってきた。
自転車で下町ツアー
ホテルのコンシェルジェに自転車ツアーを頼んだ。
朝、車が迎えに来てくれた。
カオサンの近くにある小さな店が、自転車ツアーを主催している。
バンコックの下町を自転車でまわるのだ。
お客は手ぶらでOK。
自転車はもちろん水から、小さなリックまで用意してくれる。
客はオーストラリア人の老女、ベルギー人のカップル、それにボク。
韓国人は来たことがあるが、日本人は初めてだと言っていた。
自転車は狭い道を走る。ハンドルがやっと通れるか、といった路地裏まで入っていく。
部屋の中にいる人と目が合っても、にっこりと笑顔を返されて、拍子抜けする。
部屋の中を見ても良いのかと思うが、このあたりにはプライバシーという観念がないのだろう。
地元のお菓子も買い食いできた。椰子の実を処理する町工場や、鍛冶屋さんなどもコースに入っている。
蒸気機関車の操車場などを見て、自転車ごとフェリーでメコン川を渡る。
ガイドの英語も聞きやすく、実によく考えられたコースだった。
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