ダバオ雑感−近代化をめぐって
2017.1.25−記
1. はじめてのダバオ ダバオ市内へ 交通事情
2. 市庁舎付近 夜店にて
3. 庶民の生活 大きい貧富の差    
4. 男たちの盤上ゲーム 世界同時的
5. フィリピーノが妻! フィリピンの英語事情    
6. サマル島にて ダバオ公共市場 最終日  
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ダバオ雑感−6  
サマル島にて  
 ダバオ市の前にはサマル島が見える。
結構大きな島で、フェリーが頻繁にでている。feri
ものの10分で着くフェリーの運賃は1人10ペソ。
市内からはサマル島観光のバスがでており、それに乗れば船着き場で降りることなく、50ペソでサマル島の中央部まで連れて行ってくれる。

 サマル島へ入ると、大きな荷物を持って降りる人が何人もいる。
乗り合いバスの役割もはたしているらしい。
終点のショッピング・モールで降りて海岸へと歩く。
海水浴場らしき場所にはバンガローのような施設があり、多くの家族連れがバーベキューを楽しんでいる。
ここでも家族たちは大人数で、家族毎に一塊になっている。

 小さいながら市場がある。
ノコギリの目立て屋があるので、声をかけて写真を撮らせてもらう。noko
ベトナムは弓鋸だったが、ここではアメリカ式の押して伐る三角形のタイプである。
ペンチのような道具でアサリをだし、グラインダーで刃先を磨っていく。

 海岸線を歩くと、住宅が並んでいる。
庭先で女性たちが麻雀をやっている。
裕福な人たちらしい。
大歓迎してくれる。
ここでも既婚か否か問われ、奥さんはフィリピーノかと質問された。
顔写真は恥ずかしいからダメだが、麻雀の牌なら良いという。
笑い声が絶えない。majan

 ダバオではまず中国人か、韓国人かと聞かれることが多かった。
日本人だと答えると、おーそうか、「こんにちわ」とか言ってくれる。
しかし、2000年頃には、まず日本人かと聞かれ、韓国人かと聞かれることはなかった。
やはり日本人のイメージが薄くなっているのだろう。
そう言えば、韓国人がセブにつくった英語の語学学校が有名になっている。
恐るべし韓国である。

ダバオ公共市場
 中華街の近くには大きなパブリック・マーケットがある。
野菜コーナーとか肉コーナーといった具合にゾーニングされており、たくさんの品物が並んでいる。
市場の半分位を占めるのが、食べ物屋である。
しかし、肉コーナーの近くにあるせいか臭いがきつい。
しかも、コンクリートの剥がれた床には、泥水がたまっている。shokudo

 そんな環境でも、地元の人たちが元気に食事をしている。
地元の人が食べていれば、大丈夫だというのがボクのポリシーなので、ボクも地元の人に混じって食べることにする。
隣の人が食べている麺をたのむ。
25ペソ(63円)である。
タイやベトナムと比べると、残念ながらダバオは美味とは言えない。
単調な味で油分が強く、ボクのような老人向きではなかった。

最終日
 今日は最終日。今までTシャツに長めの短パンで歩き回ってきた。
気さくに笑顔を見せてくれていた現地の人だが、こちらがTシャツからプレスの効いたYシャツ姿になると、心なしか笑顔が少なくなり距離が遠くなったような感じがする。

 ホテルで精算をした。明細には16,999.09ペソと書かれているが、請求書には17,000ペソと書かれていた。
キョトンとしていると、16,999.09ペソだから17,000ペソじゃないかと自信をもって言う。
1ペソ(2.5円)くらい切り上げても良いだろうというわけだ。
いかにもフィリピン的だと、呆気にとられながら納得することにする。
飛行場まで公共交通機関はないから、タクシーということになった。