ダバオ雑感−近代化をめぐって
2017.1.25−記
1. はじめてのダバオ ダバオ市内へ 交通事情
2. 市庁舎付近 夜店にて
3. 庶民の生活 大きい貧富の差    
4. 男たちの盤上ゲーム 世界同時的
5. フィリピーノが妻! フィリピンの英語事情    
6. サマル島にて ダバオ公共市場 最終日  
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ダバオ雑感−2  
市庁舎付近
  ダバオの市庁舎は開放的である。
入り口こそガードマンがいて手荷物検査をしているが、2階の廊下からは市長室の中が見える。
かのドゥテルテさんが執務したことを考えると、ずいぶんと無防備な感じである。
武装した4〜5人が突入すれば、簡単に侵入できそうだ。
フィリピンでは拳銃が所有できるようで、小型拳銃が24,000ペソ(6万円くらい)で市販されていた。

 1階の正面には大きなタックス・ペイヤーの部屋があり、大勢の人が窓口に並んでいる。
しかし、多くの人は遊びに来ているような感じで、玄関ホール付近で所在なく座り込んでいる。
ボーと時間を過ごすのは、いかにも南国の景色である。
彼らに混じって、ボクもしばらくボーとする。

 南国に来るのにサンダルを忘れてしまった。
革靴で歩いている人もいるが、やはりサンダルの方が気持ち良い。
買わなければ。
歩道の上で店を広げている男と、1人の客が交渉している。
なかなか手強そうだ。
彼はサンダルを2足180ペソで買った。
ならばと、ボクは1足100ペソ(250円)と言って交渉成立。
ビニールの袋に入れてくれた。

 人々は気さくで、目が合うと笑顔を返してくれる。
気温は30度くらいだろうか。church
Tシャツに短パンの人もいるし、長袖のシャツに長ズボンの人もいる。
我が国に比べると、衣類は質素な素材で、化繊物が多そうである。
途上国ではメチャクチャにお金持ちもいるが、多くの庶民は決して裕福ではない。
日差しの強い街を歩くと、乞食と思われる人もいる。

 市役所の前にある教会へ入ると、多くの人がキリスト像に頭を下げている。
当方はクリスチャンではないので、教会は見物だけである。
教会から出てくると、子供が寄ってきてお金をせびる。
親方の下で稼ぐプロの乞食という感じはしない。
ただ貧しいだけ、そんな感じの子供である。
近くにはダバオ河が流れており、ダバオ河の両岸には貧しい家が密集している。
おそらく子供たちはそこに住んでいるのだろう。

夜店にて
 夕方になると、ロックサス・アベニューが通行止めになり、夜店がずらっと並ぶ。
真ん中から山側の屋台は、串焼き中心の食べ物やで、海側は衣類関係の店が多い。
まずはと、串焼きで夕飯にする。
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 串焼きといっても、焼き鳥のようないわゆる串焼きから、鳥のモモを焼いたり、30センチ近い魚を丸ごと焼いたりと、バリエーションも豊富。
魚を素手で食べると手が汚れるので、ビニールの袋をくれる。
それを手袋のように使って食べろという。
フォークよりも良いかもしれない。
ご飯も葉っぱに巻いて焼いている。
ビールが欲しいところだが、残念ながらない。
お茶を頼むと、これが驚くほど甘い。

 焼き鳥を食べていると、いつの間にか小学校に入るくらいの子供が、ボクの顔を覗き込んでいる。
お金をくれと手を出した。
一度に大勢の子供に襲われるわけではないが、1人また1人と五月雨式にやってきては、小さな手を差し出すのである。
最近の東南アジアではあまり見かけなくなったシーンだ。
フィリピンはまだ貧しいのだろう。

 隣に座って手を差し出した女の子に話しかけてみる。
太ってはいないが決して痩せてはいない。
食べ物がないという訳ではなさそうだ。
しかし、乞食の生活は自己の尊厳を奪う。
誰も彼女を1人の人間として扱わないのだろう。
カメラを向けるとひどくはにかんでみせる。

 彼女にカメラを向ける者もいないに違いない。
被写体となって、つまり自分が主人公として扱われ慣れていない。
誰かから大切にされている、そう感じさせてくれることが子供には必要不可欠だ。
愛されている、そう感じさせないと子供は自信をもてない。
裕福な家との違いは、大切にされている感の有無だろう。
いくらかの小銭をわたすと、嬉しそうに去って行った。
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