タイ南部への旅行記
2013.12.−記
第1日目 ソイ33通り ホテルがない いい食堂を発見
第2日目 単独行の買春男性 盤上遊戯を発見 ドンムアンへ ハート・ヤイへ
第3日目 厳しいハート・ヤイ 大遅延の列車
第4日目 スラー・ターニー 猿の椰子の実取り 豪華深夜バス
第5日目 マンダリン 見えない盤上遊戯 見えたチンチロリン
第6日目 カンチャナブリー 戦場にかける橋 バスのスピード競争
第7日目 バンコックの王宮 盤上遊戯を発見 最後が失敗
第8日目 別離の朝 雨中居のトップに戻る


第6日目−2  戦場にかける橋

 クウェー川に架かる鉄橋は、誰でも歩いて渡ることができる。
黒く塗られた鉄が艶を失って、いかにも古い姿をみせている。
現代の構造物と違って、肉厚な鉄の塊といった感じだ。
観光客たちは気ままな姿で鉄橋の上で写真を撮る。
もちろんボクも渡った。
クウェー川に架かる鉄橋
カラフルな列車
泰緬鉄道へと続く

そして、写真を撮った。
そうとうに高いが、手摺りがあるので恐怖感はない。
下には茶色い水が流れているが、高いから水の表面が判別できるというわけではない。

 鉄橋の中間に立つと、あたりが見渡せて気持ちが良い。
ちょうどその時、対岸から列車がやってきた。
タイの国旗を立てたカラフルな列車が警笛を鳴らしながら、ほんとうにゆっくりと近づいてくる。
10メートルおきくらいに待避所のような場所もあるが、待避所に逃げる必要はない。

 鉄橋の上にいる観光客は、慌てることなくレールから離れ、両側にある50センチくらいの歩道のような部分へと避難するだけだ。
4両くらいの客車を引いた機関車は、観光客の傍をゆっくりと通過していく。
毎日くり返される風景なのだろう。

 鉄橋の反対側のアーチ部分には、横河橋梁の製作と書かれていた。
鉄橋を渡りきった。そこには古びた看板が立っていた。
タイ語と英語で次のように書かれていた。

警告 橋を渡るときは注意せよ。列車が橋に近づいたときには、安全なプラットフォームへ移動せよ。タイ国鉄はいかなる事故に対しても責任を負わない。 

 こうした看板を出して、観光客に自由に鉄橋を渡らせるか、それとも禁止するか。
おそらく我が国なら、鉄橋に立入禁止とするだろう。
もちろんボクはタイ国鉄のやり方に賛成である。
ここは新幹線の通る鉄橋ではない。
1日に何本も通らない、しかも超スローな列車なのだ。
事故は観光客の自己責任だとしても良いだろう。

 ここから先が、泰緬鉄道のハイライトらしい。
なにせ捕虜を酷使して、多くの死者を出した工事区間である。
危うい崖スレスレに列車が通ったり、木製の橋があったりするらしい。
これより先に行く列車は、1日に3本しか走っていない。
残念ながらダイヤがあわずに、列車に乗ることはできなかった。

 私設の第二次世界大戦博物館に寄ったりしながら、カンチャナブリーのバス発着所へと戻る。
旧道といった感じの道で、あまり車も通らないし、あたりには家並みが続くというわけではない。
ときどき道路から離れた向こうに家が表れるだけだ。
クウェー川にそってバンガローが建っている。
そこには長期滞在の白人がいるらしく、彼らのバイクに乗っている姿を見かける。

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