戦場にかける橋の舞台になったカンチャナブリーにいく。
ここは日本軍が捕虜を酷使し、多くを殺したので有名な泰緬鉄道のある場所なので、日本人としては気持ちの良くない観光地である。
しかし、戦後70年近くたった今では、冷静に見ることができる。
バンコックからのバスは、カンチャナブリーの南東に着く。
たちまち客引きが寄ってくる。
人力サムローあり、トクトクあり。
いずれもクウェー川の鉄橋駅などを案内するものだ。
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日本はアジアを侵略 |
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忘れられた盤上遊戯のテーブル |
ボクは全部断って、クウェー川目指して歩き始めた。
広い街道を横切って、古い街並みへと向かう。
強い日差しの中、道を下っていくと、眼下に茶色水が見える。
クウェー川である。
それほど広い川でもないし、急流というわけでもない。
道路に沿って古い家並みが続く。
車は鉄道と川のあいだにある広い道路を走っている。
だから静かなものだ。
ちょうどバイパスができた後の旧道といった感じである。
のどかな田舎の道をあるく。
中国人のお墓がある。
すこし進むと学校、中華学校だろうか。
連合軍の共同墓地が緑の芝生に広がっている。
その前には泰緬鉄道博物館がある。
小さいながらも二階建てのしっかりした建物で、受付から案内まで揃っている。
中はすべて撮影禁止。
室内の雰囲気や展示物から、捕虜虐待の事実を残そうとする強い意志を感じる。
近くの定食屋で昼食。
クウェー川の鉄橋を目指してしばらく歩くが、なかなか地図上の位置が変わらない。
広い道路と合流する。
トクトクも声をかけてくる。
ソンテオが通りかかったので乗り込む。
ここから1キロだと言って、踏切を超えたところで下ろされた。
ここで道は二股に分かれている。
クウェー川鉄橋は線路に平行に西のほうへ行く。
ソンテオは北へと行くのだという。
だから降ろされたのだ。
近くにいたバイク・タクシーに10バーツで行けというと、20バーツでなければ行かないと断られる。
陽光を遮る物のない炎天下を仕方なしに歩く。
道がゆるく左に曲がっていく。
左手に古い機関車が見えてきた。
クウェー川も見える。
土産物屋がギッシリと建ちならんでいる。
クウェー川駅は鉄橋から50メートルほど手前にあり、駅と鉄橋のあいだは人が自由に行き来している。
広い踏切といったら良いのだろうか。
1日に2本しか列車は通らない。
そのため線路のある広場、と言ったほうが良い状態なのだ。
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