まずシェラトンやオリエンタル・ホテルの近くに行こう。
というのは、シェラトンやオリエンタル・ホテルのあたりでは、かつてマークルックやダームが盛んに遊ばれていた。
トクトクの運転手や地元の人たちが、盤を見つめて真面目な顔をして考え込んでいた。
その後日の風景を見たかったのだ。
かつては探し回らなくても、盤を囲む人々がいやでも目に入ってきた。
朝早いせいだろうか、そんな面影はまったくない。
今では誰も盤上遊戯で遊んではいない。
かつて縁台将棋がおこなわれた我が国でも、今では誰も縁台将棋を楽しんではいない。
それと同じなのだろう。
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バンコックの市中を走る高架線の駅 |
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こんな風景も残る、バンコックは水の都でもある |
ベトナムでも一時ほど盛んではなかった。
タイはベトナム以上に経済発展しているから、屋外で盤上遊戯を遊ばなくなったに違いない。
タイの経済発展を喜ぶべきなのだろう。
それは頭では判っている。
しかし、追っ掛けてきた街中の盤上遊戯が消滅したことは、寂しい感じがするのも事実だ。
古い習慣などが消滅すると、人は古き良きものが消えてしまったと嘆くことが多い。
古いものが消滅していくとに、あまり抵抗感を感じないボクだが、自分で見つけて追っていることには感傷的になる。
盤上遊戯の普及に近代化を見ていたボクは、地面の上にマス目を書いて、石ころや葉っぱを駒に見立てて遊ぶ姿、しかも、地面に尻を付けて盤で対面するのを近代化の端緒と考えている。
つまり地面に直接マスを描くのが第1段階である。
土の上に盤を描くのは、いかにも農業社会からの出発ではないか。
そして、盤面が板状の物のうえに描かれて、地面から離れることが近代化の第2段階である。
第2段階になると、盤はポータブルになるので、遊ぶ場所は一カ所に固定されなくなる。
まだこの段階では、男たちは地面に尻を付けて遊んでいる。
第3段階になると、盤がテーブルの上にのぼると同時に、男たちの尻は地面を離れ椅子に座るようになってくる。
おそらくこの段階が近代化の実現期に入ったのだろう。
縁台将棋の盛んだった1970年頃までの我が国も、この頃には近代化の実現を果たしている。
タイの近代化の実現期は、経済成長率が10%近かった1990年頃だったのだろう。
だから、1995年から2000年にかけては、どこでも縁台将棋が遊ばれていたに違いない。
2000年を過ぎると、近代化も安定期に入って、縁台将棋が路上から消えていったと考えている。
ベトナムはタイに比べると近代化が遅れた分、経済成長に伴って少なくはなってきたが、2011年になっても縁台将棋がまだ消滅していないのだ。
盤上遊戯の遊ばれていない路地から路地へと、ボクはカメラを手にしてうろつき廻った。
残念ながら、シェラトンやオリエンタル・ホテルの付近では、盤上に目をこらしている男たちを発見できなかった。
そこでエキスプレスボートでチャオプラヤ川をさかのぼることにした。
雨期の最後なので、チャオプラヤ川が増水しており、シェラトン脇の船着場が閉鎖されている。
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