タイ南部への旅行記
2013.12.−記
第1日目 ソイ33通り ホテルがない いい食堂を発見
第2日目 単独行の買春男性 盤上遊戯を発見 ドンムアンへ ハート・ヤイへ
第3日目 厳しいハート・ヤイ 大遅延の列車
第4日目 スラー・ターニー 猿の椰子の実取り 豪華深夜バス
第5日目 マンダリン 見えない盤上遊戯 見えたチンチロリン
第6日目 カンチャナブリー 戦場にかける橋 バスのスピード競争
第7日目 バンコックの王宮 盤上遊戯を発見 最後が失敗
第8日目 別離の朝 雨中居のトップに戻る


第5日目−2  見えない盤上遊戯

 まずシェラトンやオリエンタル・ホテルの近くに行こう。
というのは、シェラトンやオリエンタル・ホテルのあたりでは、かつてマークルックやダームが盛んに遊ばれていた。
トクトクの運転手や地元の人たちが、盤を見つめて真面目な顔をして考え込んでいた。
その後日の風景を見たかったのだ。

 かつては探し回らなくても、盤を囲む人々がいやでも目に入ってきた。
朝早いせいだろうか、そんな面影はまったくない。
今では誰も盤上遊戯で遊んではいない。
かつて縁台将棋がおこなわれた我が国でも、今では誰も縁台将棋を楽しんではいない。
それと同じなのだろう。
バンコックの市中を走る高架線の駅
こんな風景も残る、バンコックは水の都でもある

ベトナムでも一時ほど盛んではなかった。
タイはベトナム以上に経済発展しているから、屋外で盤上遊戯を遊ばなくなったに違いない。

 タイの経済発展を喜ぶべきなのだろう。
それは頭では判っている。
しかし、追っ掛けてきた街中の盤上遊戯が消滅したことは、寂しい感じがするのも事実だ。
古い習慣などが消滅すると、人は古き良きものが消えてしまったと嘆くことが多い。
古いものが消滅していくとに、あまり抵抗感を感じないボクだが、自分で見つけて追っていることには感傷的になる。

 盤上遊戯の普及に近代化を見ていたボクは、地面の上にマス目を書いて、石ころや葉っぱを駒に見立てて遊ぶ姿、しかも、地面に尻を付けて盤で対面するのを近代化の端緒と考えている。
つまり地面に直接マスを描くのが第1段階である。
土の上に盤を描くのは、いかにも農業社会からの出発ではないか。
そして、盤面が板状の物のうえに描かれて、地面から離れることが近代化の第2段階である。

 第2段階になると、盤はポータブルになるので、遊ぶ場所は一カ所に固定されなくなる。
まだこの段階では、男たちは地面に尻を付けて遊んでいる。
第3段階になると、盤がテーブルの上にのぼると同時に、男たちの尻は地面を離れ椅子に座るようになってくる。
おそらくこの段階が近代化の実現期に入ったのだろう。
縁台将棋の盛んだった1970年頃までの我が国も、この頃には近代化の実現を果たしている。

 タイの近代化の実現期は、経済成長率が10%近かった1990年頃だったのだろう。
だから、1995年から2000年にかけては、どこでも縁台将棋が遊ばれていたに違いない。
2000年を過ぎると、近代化も安定期に入って、縁台将棋が路上から消えていったと考えている。
ベトナムはタイに比べると近代化が遅れた分、経済成長に伴って少なくはなってきたが、2011年になっても縁台将棋がまだ消滅していないのだ。

 盤上遊戯の遊ばれていない路地から路地へと、ボクはカメラを手にしてうろつき廻った。
残念ながら、シェラトンやオリエンタル・ホテルの付近では、盤上に目をこらしている男たちを発見できなかった。
そこでエキスプレスボートでチャオプラヤ川をさかのぼることにした。
雨期の最後なので、チャオプラヤ川が増水しており、シェラトン脇の船着場が閉鎖されている。

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