タイ南部への旅行記
2013.12.−記
第1日目 ソイ33通り ホテルがない いい食堂を発見
第2日目 単独行の買春男性 盤上遊戯を発見 ドンムアンへ ハート・ヤイへ
第3日目 厳しいハート・ヤイ 大遅延の列車
第4日目 スラー・ターニー 猿の椰子の実取り 豪華深夜バス
第5日目 マンダリン 見えない盤上遊戯 見えたチンチロリン
第6日目 カンチャナブリー 戦場にかける橋 バスのスピード競争
第7日目 バンコックの王宮 盤上遊戯を発見 最後が失敗
第8日目 別離の朝 雨中居のトップに戻る


第2日目−3  ドンムアンへ

 ホアランポーン駅の前には広場があったように覚えていたが、とりたてて広場というほどの場所はなかった。
物売りのオバサンもいなくなっていた。
地下鉄の工事中だったが、地形は変わっていないのだろうから、ボクの思い違いなのだろう。
記憶は怪しいものだ。
しかし、ホアランポーン駅がちょっと寂しく見えた。
ホアランポーン駅の中央ホール
停まってしまった列車の車窓から


 駅の中に入ってみると、ホールはかつての面影どおり。
汚れ方といい、むかしの上野駅のようだ。
窓口でドンムアンまでの切符を買う。
隣では白人バックパッカーが、チェンマイ行きの列車がキャンセルになったと説明されている。
これが悪い予兆だったのだろうか。

 左側のホームへと進むと、列車はすでに入線していた。
車掌さんに切符を見せると、この列車だと頷いてくれる。
物売りが車内の通路から降りると、列車は12時50分の定刻に出発した。
座席はチラホラといった感じで、乗客は多くはない。
毎度のことながら、車窓からは赤茶けたトタンと、洗濯物がみえる。
貧しげな家が軒を連ねている。
ドンムアンまでは30分位だろうと、安心して座っていた。

 ホアランポーンから離れるにしたがって、貧しい家並みを抜け郊外の風景になった。
バンコクの市内だけではなく、郊外にも超高層の建物が建ち始めている。
高速道路も整備されつつある。
鈍い列車は車に追い越されていく。
ゆっくりとでも走っていれば着くと高をくくっていたが、なぜか列車は停まってしまった。
車内放送で何か案内をしているらしい。
残念ながらタイ語が分からない。

 三戸祐子の名著「定刻発車」を持ちだすまでもなく、日本の列車が時間に正確なことは世界でも例外で、どこの国でも多くは多少遅れるものだ。
飛行機の出発時間には間があるし、しばらくは落ち着いていた。
なかなか動きださない。
少し動いてはまた停まる。
とうとう30分以上も停まったままになってしまった。
このまま動かなかったらと、ちょっと不安になってきた。
しかし、動きだしてくれた。

 ドンムアンには1時間近く遅れて到着した。
その間、乗客たちは何の変化も見せず、動揺した風でもなかった。
たぶん、列車が遅れることには慣れているのだろう。
ドンムアンについてみると、空港の建物には昔日の面影はない。
イスラム教徒のための礼拝室

というか、かつてもこうだったのだろうか。
スワンナプーナ飛行場と比べるせいか、零落した施設の様子は見るも無惨である。

 ドンムアン駅のホームから、跨線橋で飛行場へとつながっている。
跨線橋へと登るスロープの鉄部は錆が浮きでているし、天井からは仕上げ材が垂れ下がっている。
かつてはこんなじゃなかったはずだと思いながら歩く。
スロープは途中で折り返して跨線橋へとつながり、左へ行くと飛行場、右へ行くとホテルである。
もちろん左へと進む。やや薄暗い。

 跨線橋から空港の建物へと入るが、くすんだ感じで埃っぽい。
ピカピカのスワンナプーナ飛行場とは大きな違いである。
3階の出発階へとエスカレーターで登る。
イスラム教徒のための礼拝室がある。
仏教国にこんなものを造らせてしまうイスラム教の力は恐ろしい。
近くにいた航空会社の女性にカウンターの番号を聞くと、自動チェックインの機械へと案内し操作してくれた。

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