Hotel Slavija は朝食付きである。ブッフェ形式の食堂がある。ここで連れが、オバサンの宿にかけてあった絵を買いたいと言いだす。小さな絵ならと言うことで賛成して、ボクが絵の交渉に行くことになった。
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フェリーの屋外デッキの乗客たち |
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オバサンは英語が喋れないから、最初の晩に泊まった宿のオバサンに通訳を頼みに行く。エッチラオッチラ4階まで上って、呼び鈴を押す。幸いオバサンはいた。訳を話すと、電話をかけてくれた。しかし、向こうのオバサンも、息子の絵だから、一存では決められないという。当然だろう。オバサンは息子に確かめるといって電話が切れた。
日曜日なので息子がつかまって、これからオバサンの家に来るという。しかし、今日、我々はバスに乗って、ドブロヴニクに行くのだ。そんなに時間はない。何度か電話でのやり取りをしたが、結局、値段が折り合わなかった。日本で絵を買うのだって難しいのに、知らない土地で絵を買うなんて難しい。しかし、土産物屋で土産を買うのではなく、たまたま泊まった宿の息子が画家で、その絵を気に入って買おうとする。なかなか素敵な経験だった。
荷物を引きずって、バス発着所へと向かう。バスでドブロヴニクへ行くには、ボスニア・ヘルツゴヴィナへちょっと入国しなければならない。ほんの12キロ走っただけで、再度、クロアチアへと入ることになる。つまり、クロアチアの領土はつながっておらず、飛び地となっているのだ。そのため、この路線は国際路線バスということになる。
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ドブロヴニクの旧市街への門 |
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ドブロヴニクの旧市街の港にて |
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国際路線といっても今までのバスと変わらない。別料金で荷物をあずけ、座席指定の切符に従って乗る。ほぼ満席のバスは定刻に出発。海岸沿いを一路、南東に進む。マカルスカでトイレ休憩があり、バスは順調に走って行く。このバスは路線バスでもあるらしく、途中で地元の人が乗り降りする。
道は悪くはないという程度で、自動車専用の高速道路ではない。クネクネとした海岸線にそって、道は滑らかに曲がっていく。どのくらい走っただろうか、国境の青い検問所が見てきた。ボスニア・ヘルツゴヴィナの役人が乗り込んでくる。乗客は座ったまま、パスポートを確認していく。1人の若者が降ろされた。しかし、暫くして何ごともなく戻ってきた。5分くらいの停車で、またバスは動きだす。
ボスニア・ヘルツゴヴィナを走るのは20分もないだろう。その中間にはレストランがあった。ここで昼食のため休憩である。ビールを飲む人、ワインを飲む人、アイスクリームを食べる人、もちろんサンドイッチを食べる人など様々である。こうした風景は世界中で共通なのだろう。時間が来ると、どこからともなく乗客は集まってくる。
5分と走らないうちに、クロアチアへの再入国。何ごともなかったようにバスは進む。ドブロヴニクに入るのには高低差があるらしく、バスはループ状の道を登って高度を稼いでいく。船がたくさん泊まっている脇を通りすぎ、バスの発着所に入っていく。ここは市内の外れで、3キロくらい南東に行ったところが、めざすドブロヴニクなのだ。タクシーを拾って市内へと向かう。
別動部隊と落ちあうのは、旧市街のすぐ手間にある宿だ。下り坂の途中でタクシーが止まる。道が狭く、これ以上は入れないらしい。細い路地を見ると、住所表示があっている。この路地の奥らしい。荷物を降ろしてもらい歩き始める。道幅は1メートルもあるだあろうか。すると、向こうから別動隊の1人が迎えに来てくれた。
5時到着という約束だったので、そろそろだと迎えに出てくれたのだという。広い道路から100メートルくらい入ったろうか。右手に折れて階段を上る。ここも1メートルやっとという狭さである。2メートルも登った上が宅地である。そこを左へと急旋回すると、めざす建物はあった。
airbnb.com でとっている宿だから、一種のアパートである。ここは定年退職した人が買った建物(3戸の共同住宅)のうちから、使わない部分を客に開放しているという。もちろん有料だが、ベッドは清潔で家具までそろっているので、大勢での旅行には持って来いである。別動隊の3人と無事に合流した。
しばし休憩して旧市街の探検にでていく。道を下りきったところに、旧市街への西の入り口ピレ門がある。さすがに世界的な観光地である。シュベニクやスプリットも世界遺産だが、ここは規模が違う。500メートル四方の城壁に囲まれたなかに、3〜4階建ての建物がギッシリとつまっている。まさに世界中から観光客が押し寄せている。
城壁の上は歩けるようになっているが、西安のようには広くない。場所によってはすれ違うのもやっとだ。しかし、城壁巡りは明日にすることになった。ビレ門の前には、空堀があって橋が架かっている。これを渡り、左に曲がるように坂を下ると、ビレ門の真下に至る。門の上を人が歩いているわけだ。門からはプラツァ通りがのびており、門の右手にはアノフリオの噴水がある。ここは格好の待ち合わせ場所になっている。
プラツァ通りの両側には土産物屋やカフェ・レストランがギッシリと建ちならんでいる。どこの見せも客引きの若い女性たちが、呼び込みに必死である。ボクにも声がかかる。
「Mama told me, do not follow beautiful woman.」
と言うと、彼女たちはニヤッと笑う。
それにしても、たくさんの観光客だ。先祖が珍しいものを残してくれると、末裔はありがたいものだ。
世界中から観光客がきてくれて、お金を落としてくれる。観光客はまさに歩く財布なのだ。われわれもカフェに入ってお茶代
を落とすことにする。しかし、ここは高い。今まで10クーネ以下だったコーヒーが20クーネ近くする。まあ銀座やシャン
ゼリゼでお茶することを考えれば、納得せざるを得ないだろう。今日はざっと見て回るにとどめる。
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