初老人たちと若者のクロアチア旅行記
2013.6.−記
第1日目 ザグレブに到着
第2日目 ザグレブ市内−午前中 ザグレブ市内−午後から
第3日目 シュベニクへ
第4日目 シュベニク→スプリット
第5日目 スプリットは城壁内
第6日目 城壁内から市外へ
第7日目 スターリ・グラード往復
第8日目 スプリット→ドブロヴニク
第9日目 ドブロヴニクの城壁内
第10日目 ドブロヴニク→ザグレブ
第11日目 ザグレブを出発 雨中居のトップに戻る


第7日目   スターリ・グラード往復 

 今日は朝早く起きる。スプリットの前にあるフヴァル島へと行く。この宿には戻らない。だから、昨日予約した高級ホテルに移動である。しかも、そこに荷物を預けて、船着場へ行かなければならない。朝早くから、荷物を引きずって路地を歩く。Hotel Slavija は近い。

 Hotel Slavija で、今夜の予約がしているから、荷物を預かってくれと言う。にこやかな対応。素人のオバサンとは違う。しかし、オバサンのほうが親身な感じがして、なんとなく心が通っていた。サービスとは難しいものだ。もっとも飛行場などでの対応を見ても、クロアチアはオセイジにもサービスが良いとは言えないのだが。

 早朝の海岸を、フェリー乗り場へと歩く。切符を買って、7番埠頭でまつ。やがて長い列が出来はじめる。結構大きなフェリーで、人が二列で乗り込んでいく。船室と屋上のデッキがあり、席は充分にある。しかし、団体さんはお馴染み同士で座りたいだろう。席には混んでいるところと空いているところのバラツキが見える。約1時間半でスターリ・グラードの埠頭に到着。

聖ステバノ広場にて

 フヴァル島の観光地はフヴァル港のほうにあるらしい。船着場にはバスが待っている。団体さんは専用のバスが運んでいく。我々のようなフリーの観光客もバスに乗る。これが不思議なのだが、ほぼ全員がバスに乗れてしまうのだ。乗れずに取り残される人もいないし、バスがガラガラで空席だらけと言うこともない。どうやって人数を押さえているのだろうか。

 バスは丘を越えて、フヴァルへと向かう。約20分でフヴァル到着。港へと坂を下ると、そこはもう聖ステパノ大聖堂である。聖ステバノ広場にでる。広場といっても幅が20メートル、長さが50メートルくらいの狭いものだ。港の正面に市庁舎があって、その左右に聖ステパノ大聖堂と聖マルコ教会がある。フヴァルも小さな街だ。

 聖ステバノ広場でピザを食べて昼食とする。そして、広場からやや山側の道を、フランシスコ会修道院のほうへと向かう。こんなに宗教施設があるけれど、いまでも修道院に入る人がいるのだろうか。どこの修道院でも予定の人員に満たなくて、ガラガラのように感じるのはボクだけだろうか。

 フランシスコ会修道院から湾の左岸を戻ってくる。湾内には豪華なボートが浮かんでおり、田舎町の懐の深さを思い知る。ベネディクト会修道院は休みである。山の上には城塞が見えるが、そこへ至る道はいかにも急峻で初老人向きではない。よって登るのは直ちに取りやめとし、下から見るだけにした。

聖ステバノ広場から聖ステパノ大聖堂をみる

 これで他に見るところはない。スターリ・グラードへ戻るバスは、帰りのフェリーに接続しているらしく、まだ3時間も先だ。せっかちな初老人は、ここで待つことができない。タクシーを使って、スターリ・グラードの街に行くことにした。街はフェリー乗り場から10分ほど先である。

 スターリ・グラードの街に着いたが、まるで閑散としており田舎の漁村といった風情である。大聖堂、聖ロコ教会とまわると、もう見るものはない。喫茶店に入って時間をつぶす。喫茶店の店先に、海水が寄せてくるのをみながら、のろい日差しをみあげているだけだ。

 タクシーを呼んでくれと言っても、喫茶店の経営者兼ボーイさんは、バスがフェリーに接続しているから、バスを待つように言う。まったく商売っ気がない。連れはフェリーに乗り遅れるとヤキモキしている。しかし、バスの発車時間になると、どこからともなく人が集まってきた。バスと言っていたが、来たのはマイクロバスだった。無事フェリーに乗船する。

 帰りのフェリーが大変だった。船室には大勢の人が座っており、小学生らしき団体も乗っている。子供がいるだけで充分に騒々しいのに、小学生たちが運動会を始めたのだ。大きな笑い声とともに、船室から外まで駆け回る。しかし、叱る人はいない。むしろ元気な子供を頼もしげに見ている。

フランシスコ会修道院

 船室ではビールを飲みながらカードに興じる人たちがいる。どうしたことか、急に歓声が上がった。そちらを見ると、テーブルの上に倒立している男性がいる。頭をテーブルにのせて、足を天井に着けんばかりになっている。船室の天井は低くて、テーブルにのれば簡単につく。男は膝を曲げて倒立している。天井が低くて、足が伸ばせないのだ。みな驚きながらも、はやし立てている。その場はそれで納まった。

 しばらくしてオジサン・コールが沸き上がった。小学生たちが倒立のアンコールをしている。オジサンはそれに応えて、再度テーブルにのって倒立する。何度も何度もアンコールの声がおきる。倒立するオジサンは1人だが、オジサンたちはたくさんいる。オジサンたちはお揃いのユニフォームを着て、サッカーの応援に行くようだ。お酒が入っているせいか、まさにフーリガンここにありといった感じ。小学生と一体になって、船室中が大音響である。

 僕の前に座っている中年女性が、さっきからイライラいしている。この女性は騒音の中に安らぎを感じないのだ。彼女はフェリーが出発してから、ずっとル・カレを読んでいた。ル・カレは推理小説とはいえ、フェリーの中で本を読むのは庶民ではない。彼女は騒いでいる人たちと、明らかに雰囲気が違う。我が国ではインテリがインテリの顔をしていないから、庶民とインテリの区別が判りにくい。しかし、白人の世界では、インテリはインテリの顔をしており、庶民との違いがすぐに判るのだ。

 喧噪は庶民のものだ。庶民はお酒を飲んで、大騒ぎするのが大好きだ。これは世界中で共通している。しかし、白人で本を手にしている人たちは、公衆の面前でお酒を飲んで大騒ぎはしない。君子、和して同ぜずなのだ。グランドで運動に興じることはあっても、インテリは基本的に閑静を好んでいる。逃げ場のない船室に閉じ込められているから、彼女は騒音から逃れることができない。彼女は顔をしかめて、耐えしのんでいた。サッカーの応援に興じる人たちと、本を持った女性の対比が、きわめて対称的だった。
 
 今朝、荷物を預けた Hotel Slavija へと行く。チェックイン。城壁の一部のが露出したりして、なか なか良い雰囲気である。このホテルはもちろんカードが使える。

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