民宿の食堂で、コーヒーとパンの朝食をとる。卵も焼いてくれた。朝食は宿泊費に込みである。若い女性が2人でチェックアウトしている。彼女たちは車で移動しているようだ。我々もチェックアウトする。そして、荷物を引きずってバス停へと向かう。
昨日の様子で分かったが、このバス停は始発駅の次なのだ。だから時刻表通りにバスがやって来る。今朝も、近所の人たちがバス停に集まってくる。ボクたちを見ると、不思議そうな顔をする。そうだろう。我々は季節外れのよそ者なのだ。それでも挨拶していく人もいる。荷物を見ると、街へ行くのかという人もいる。どこでも田舎では、見知らぬ人にも声をかける。
バスの中は、庶民とおぼしき中高年者で一杯。職場に行くのだろう。なかにお金持ちそうな女性が1人混じっているが、なんか場違いである。みな黙って前を向いて座っている。シュベニクの終点まで行かずに、途中で降り人が多い。通勤風景はどこも同じだ。
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聖ヤコブ大聖堂 |
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聖マルコ大聖堂の左に広がる広場 |
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聖マルコ大聖堂の左に広がる広場から |
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我々は終点まで行く。そこからバス発着所へと降りる。スプリットへのバスの切符を買う。出されたバスの切符は、すぐに出発する時刻が印字されている。午後のバスに変更を頼む。そして、荷物を一時預けに持っていく。手ぶらになって、市内観光へと歩き出した。
細い路地が入り組む街を歩き、写真を撮る。まず、聖ヤコブ大聖堂へ行く。田舎の大聖堂らしく、質素な構えである。おそらく田舎のクリスチャンが大都会に憧れて、少ないお金を集めて建築したのであろう。食べるものを切り詰めても、献金したに違いない。宗教とはとんでもない力をもっている。内部もそれ相応にできており、何度も改修をくり返しているようだ。
クロアチアでは現代でも、キリスト教が大きな力をもっているらしい。大聖堂に入ってくる人々が、入り口の聖水で十字を切っている。彼(女)らは、ここに来ると心が安まるのだろうか。日常の喧噪から切りはなされるのが、快楽なのかも知れない。
日本語のパンフレットを手に、堂内を歩く。こちらは神なんて信じてないが、信じる人を邪魔してはいけない。宗教戦争になりかねない。そっと歩く。ここは撮影禁止なのだ。天井を見上げると、タイバーが入っている。おそらく田舎の教会建築では、洗練された技術が使えなかったのだろう。それともお金が続かなかったのだろうか。それでもこれは世界遺産なのだ。
神父が教会を建築しようと思っても、お金を出すのは庶民の信者である。庶民は魂の救済と引き換えに、喜んでお金を出すのだろうか。偉大な無駄に、長い年月と膨大なお金を注ぎ続けた、いや今でも注ぎ続ける庶民たちには頭が下がる。タージマハールといい、無駄こそ芸術を生むのだろう。よそ者は感謝である。
聖マルコ大聖堂の左に広がる広場が気持ちいい。今日は小雨が降ったり止んだりしているので、立ち止まる人もいないが、大聖堂と山側の建物に囲まれた広さがちょうど良い。日傘を畳んでいるが、山側はおそらくカフェだろうと思う。部屋に閉じ込められた人たちが、外に出てコーヒーを飲みに来る。囲まれているので、強い風も吹かないだろうし、そんな広場としてちょうど良い。このロケーションは庶民に支持され続ける理由があるのだろう。
シュベニクの街は海外沿いに細長く広がっている。海から山へと、ほとんど平地がない。建物は段々状に山へと連なっている。おそらくアドリア海に面した湾が、自然の良港だったから、ここに街ができたのだろう。しかし、ここの人々は一体何をして暮らしているのだろうか。産業が見当たらないのが不思議だ。
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各住戸への玄関扉 |
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アラビアンナイトではないが、狭い道路に面して石造りの家が建ちならび、頑丈な扉が嵌め込まれている。ここならシャハラザードだったかが、扉に印を付けて歩いたというのも納得できる。道幅は1メートル程度しかなく、しかも曲がりくねっているのだ。次々に印を付けるのも簡単にできる。アジアの建物とは違うと、しみじみ思う。しかし、こんなところで火事になったらどうするのだろう?
朝、バスを降りたあたりから、街を一周する。小さな街で、聖マルコ大聖堂こそ世界遺産になっているが、他には見るものはあまりない。ぶらぶらと海岸のほうへ歩き、お昼にする。昨日の場所に出たが、今度は違うレストランに入る。
グラスワインを頼む。するとでてきたグラスには、0.2リットルと目盛りが刻んであった。なるほどグラスの形によって、入る量も違うから、正確に0.2リットルありますよというわけだろう。観光客が多い店とは言え、こんな無粋なことがまかり通るのは、グラスワインが生活に染みこんでいるためだろう。
最近でこそ、アジア人観光客も来るようになったかも知れないが、主流はやはり西洋人たちだ。イタリア人やオーストリア人が多いとすれば、ワインを飲むのは日常感覚の延長なのだろう。彼らは締まり屋だから…。何てことを考えながら海を見ていると、前の道路をアジア人観光客の一団が通る。たぶん韓国人か中国人だろう。本当にアジア人も裕福になったものだ。日本人の一団も通る。
入り江の前の島に、キレイな家が見える。絶景の場所にある。スイス人が買ったのだとか。ちょっと妬ましそうに、ボーイさんが言う。エスプレッソを飲みながら、バスの時間を待つ。1時に近くなってきた。そろそろかなと、バスの発着所へと向かう。
バス停に来ると、すでに何人かが待っている。ホームがいくつもあるので、バスが到着する場所を確認する。荷物をとって、あたりを見るでもなく、ぼんやりと時間を過ごす。出発時間である1時を過ぎてもバスは入ってこない。
不安になって、窓口で確認すると、遅れているのだという。スプリット行きのバスは、シュベニク発ではなく、ザグレブあたりから来るらしい。時間がたっていく。周りの人たちもイライラし始めた。
イライラも頂点に達した1時間後、やっとバスが来た。まず荷物を預ける。そして室内へと入る。座席の半分くらいは乗っており、ボクたちのシートは空いていた。やれやれと思っていると、車掌が切符を切りに来た。すると、このチケットは別の会社のものだから、このバスには乗れないという。え〜! 1時間も待って、乗れないだって!
慌てて窓口へ行ってチケットを見せると、窓口の女性は平然とお金を返してよこした。よくあることらしい。バスへと戻ると、車掌が切符を切ろうとするではないか。すでに荷物もあずけて、バスの荷物置き場へと入れてしまっている。順序が反対じゃないかと思いながら、お金をはらう。すると、前の切符は60クーネだったが、今度は59クーネと1クーネ安かった。
クロアチアは英語が通じる。おそらく2人に1人、いや3人に2人は英語を喋るのではないだろうか。バスの中でも、近くに座った女性が、いろいろと親切に教えてくれた。1時間遅れながら、シュベニクにはゆっくりと停車している。正確なダイヤを維持しようという気はないらしい。アジアのバスのように、追い越し合戦されるよりずっと良いが、ちょっとノンビリしすぎではないか?
スプリットめざしてバスは出発した。海岸線を進む。ここでも途中での乗り降りがある。小さな村に住んでいるのだろう。老女が一人で降りるかと思えば、中年の女性が乗ってくる。地元の人は、立ったまま乗っている。すぐ近くで降りるようだ。トロギールでは停まるだけで、すぐに発車した。そして、1時間半後にスプリットのバス発着所に到着した。
スプリットのバス発着所は、港に面しており、イタリアへのフェリーもでている。バスから降りるやいなや、おばちゃんたちが<アコモデーション?>といって寄ってくる。紙に書いてあるのは、宿の住所だろうか。こちらは予約を入れてきたので、首を横に振りながらタクシー乗り場へといく。
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ホテルへ登る階段 |
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ホテルの扉の前から中庭を見る |
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タクシーの運転手に住所を示すと、ウンザリした顔をした。たぶん近すぎるのだろうと思ったのだが、それだけではなかった。スプリットは大きな宮殿が自体が観光地になっており、そのなかは細い迷路で網の目のようにつながっている。シュベニクの路地も狭かったが、スプリットのはそんなものではない。人がやっとすれ違えるくらいの幅しかない。つまりタクシーが入れないのだ。
タクシーの運転手は、観光案内の地図を広げて、壁に突きあたったら左折、銀の門がある。そこを入って直進し、鉄の門の前を右折だと教えてくれた。歩き始めると、タクシーの運転手の言うとおり。とても車など入れる状態ではない。インフォーメーションの脇を通り、鉄の門の近くで聞くと、すぐ近くだという。
この先にホテルがあるのだろうかというトンネルへと入る。正面にはレストランの厨房が見える。まったくの裏口である。トンネルを5メートルも進んだだろうか。左に中庭が見え、その先に階段が見える。この階段を上るのだなと、荷物を引きずりながら脚を上げる。住所では3階と言うことになっているが、ここでは1階がGで、3階は4階なのだろう。
下宿屋のような雰囲気の回り廊下を上って、4階に到達すると、ホテルの名前が書かれた名刺が貼ってあった。呼び鈴を押す。しかし、返事がない。左の窓からは中庭に干した洗濯物が見える。もう一度、呼び鈴を押す。すると、老人が顔をだした。ホテルかと確認すると、妻が来るから待って欲しいという。どうやら英語が不得手らしい。妻のほうは英語が達者で、無事にチェックインができた。
4年前に改修したとか、真新しい壁に清潔なベッド、温水器の付いたシャワーブース。窓もあるし、380クーネ。文句ない。しかし、お目付役が穴蔵のようで、イヤだと言いだした。スプリットには3泊する予定だから、明日は宿を変えるからといって、何とかご機嫌をおさめてもらう。こんなに良い宿なのに、やっぱり旅は1人に限ると思う。
宿のオバサンに夕食の場所を推薦してもらう。友達がやっているとかで、歩いて3分のレストランを紹介してもらう。Tratoria
Bajamoht という名前である。ここが美味かったのだ。ワインはイマイチだったが、手長海
老(アカザエビ)のグリルといい、イカのグリルと良い、自家製のお菓子といい、美味かった。
ラキアは友達が作ったのだとか、結局、翌日も行くことになってしまった。
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