表の石畳を走る自動車の音で目が覚める。ゴムタイヤの車ですら耳障りのだから、馬車が走っていた頃は、さぞ騒々しかったことだろう。
朝食前に散歩に出る。宿の前の道を上り、細い路地へと入る。木製の長い階段を上り、車道にでる。朝日が斜めに当たり、街の空気がキリリとしている。街角には若いお巡りが立っている。目が合うと、目で挨拶を返してくる。しかし、目は笑っていない。
左手の建物は首相官邸なので警備しているのだろうが、装甲車を並べた我が国の厳重な警備とは大違いである。たった1人の警官が、手持ちぶさたに街角に立っているだけ。しかも、首相官邸と言えども塀があるわけでもなく、普通の建物と同じように道路に接して壁が立ち、その壁には窓が切ってある。
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聖マルコ教会 |
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首相官邸を左に折れると、広場に出る。正面には聖マルコ教会が見える。屋根がメチャクチャ派手な瓦で葺かれており、ちょっとキッチュな感じすらせる教会である。その屋根には右から朝日が当たり、やっと目が覚めたような雰囲気が漂っている。正面の扉は閉まったまま。扉を閉めて信者を拒むとは、これはどうしたことだ。
何てことを考えながら、聖マルコ教会の前を通りすぎる。どこも道は細く、広くて対向2車線、多くは片側1車線の一方通行である。すり減った石畳に足を取られながら、100メートルほど坂を下る。1731年の大火の時に死んだ人を奉った、とかいう石の門に出る。壁一面に銘碑がはめこまれ、ロウソクが揺らいでいる。おそらく死者の名前が刻んであるのだろう。足早に道行く人のなかには、ちょっと立ち止まって十字を切る人もいる。
祭壇を見ながら、なおも左に道を下っていく。パラソルを設えたカフェの前を通るが、朝早いせいかまだ開店していない。カフェの前で道がY字状に合流する。ボクはUターンするように右の道を下る。ここは石畳ではなく、アスファルト舗装されており、水道工事の最中だった。
なおも下ると市場に出るのだが、途中で細い路地を右へと入る。鈍い階段を上っていると、登校する子供たちだろうか、10代の女の子たちが賑やかに追い抜いていく。制服がないためか、色白で華やかな感じである。
旧市街と新市街を結ぶケーブルカーの駅前にでる。近くではピカソの展覧会をやっているらしく、掲示板にはピカソ独特のポスターが張ってある。時間もたったので宿へと戻ることにする。途中工事中らしき細道を下る。緑がしげり、木製の階段が下へと伸びている。その先には道路が白く光っている。時々車の走るのが見える。
この景色が絵になると感じて、何度もシャッターを切る。なかなか思い通りの絵にならない。ボケを狙って絞りを開くので、シャッタースピードは早いのだが、薄暗いのでどこにピントを合わせるか、とても難しい。中心の道路が白く光っているので、その影響を受けてしまう。三脚をすえてしっかり撮らないと無理だろう。
宿より随分と下のほうに出た。坂道を上り、宿の前に立つ。この建物には4世帯が入っているらしく、4軒分の表札がでている。Apartment と記された宿の呼び鈴を押す。みな起きているようで、すぐに扉を解錠してくれた。
コーヒーを飲んで、5人で街へとくりだす。まずは旧市街である。さっき1人で散歩した道を辿る。すでに陽も高くなっているので、ちょっと雰囲気が違っている。さっきの街角にはお巡りが立っていた。さっきのお巡りより、やや年齢が高く別人である。
派手な屋根瓦の聖マルコ教会の前にでる。教会と首相官邸の間をとおり、教会の裏から東のほうへと向かう。街は南に向かって緩く傾斜しており、道路はどこへ行くにも下りである。この道路は珍しくアスファルト舗装だが、道路際の縁石が7〜8センチ上げてあるところをみると工事中なのだろうか。
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ロウソクのともる石の門に近づく。祭壇の右手には礼拝堂のような部屋があるが、観光客はお断りだった。その前の道路を上り、左に折れる。道路は右へと曲がっていく。左へと入る細い道がある。その先にはお目当ての聖母被昇天大聖堂や青果市場がある。20人くらいだろうか、学生たちがたむろしている。その前の階段を下りる。
青果市場の下にでる。突然に大勢の人たちがいた。さすがに市場である。テント下のテーブルでは、名前の通りほとんどが野菜や果物を売っている。魚や肉は見ない。観光客相手ではなく、地元の人が買い物をするのだろう。冷やかしながら市場の中を東へと向かう。2本の尖塔(右側は工事中)をもった聖母被昇天大聖堂のまえにでる。この旅では、たくさんの教会を見ることになるが、教会は見るものではなく頭を垂れるところだ、と感じる。
神を信じないバチあたりなボクは、教会に入っても特別に有り難いとも感じない。こんな立派な建物を作ってしまい、まったくの無駄としか言いようがないと、むしろ宗教の害悪を感じるだけだ。地元の人が跪いて十字を切り、敬虔な面持ちで教会に入るのとは大きな違いがある。
教会の前庭から南へと下る。旧市街と新市街の境には、路面電車が走っており、イェラチッチ広場へと近づいていく。途中で日本円を交換しようと銀行に入る。日本の銀行と同じように、客は番号カードをひいて待つシステムである。銀行員たちはのんびりと仕事をしており、客を待たせることは当然なのだろう。ちっとも順番が進まない。換金は諦めて、外へ出る。イェラチッチ広場でトラムを見ながら歩く。
明日はシベニク行くので、バスの予約をしたい。インフォメーション・センターは簡単に見つかった。バスの時刻表もプリントアウトしてくれた。しかし、バスは予約を受けていないようだ。来た人から乗るようなシステムらしいが、混雑はしていないようだ。オネエサンのいうことを信じて、時刻表をもらうだけにする。
お茶にしようと言うことになった。店を探しながら、南に広がる新市街へと入っていく。イェラチッチ広場と平行に走る路地には、道路上にカフェがパラソルを広げて店をだしている。エスプレッソやミルクコーヒーがよく飲まれている。我々もそれにならう。
新市街は広い道幅の道路が直交しており、じつに判りやすい。ギリシャ正教会の前を通って、チトー広場クロアチア国立劇場のあたりをうろつく。のどかな日差しを浴びながら、東へと向かう。近現代美術館の角を南へと曲がり、ザグレブ中央駅のほうへと歩く。
ザグレブ中央駅の北には、南から北へとトミスラフ広場、ストロスマエル広場、そしてズリンスキー広場と連なっている。我々はストロスマエル広場のあたりにでたようだ。トミスラフ広場に面した道路にテーブルが並んでいる。ここはトミスラフというレストランだ、とガイドブックにある。このあたりで昼食に、と言うことになり、トミスラフのテーブルに座る。
クロアチアは社会主義の名残か、サービスという精神が薄い。我々がテーブルについても、オバサンはなかなかオーダーを取りに来ない。急ぐ旅でもないので、こちらもノンビリしている。ボクはビールをたのむ。ウィンナー・シュニツッェルが人気らしい。他にも西洋オジヤというのだろうか、リゾットを注文する。全体に1品の量が多いので、分けて食べる。
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トミスラフでの食事中に、近所の店はどんどん店じまいしていく。彼(女)も食事に行くのだろう。中国人なら店先で食卓を広げるが、クロアチア人は食職分離らしい。そんな風景を見ながら、食事をする。テーブルのすぐ脇には、トラムの線路が走っており、ときおり路面電車が音を立てて通りすぎる。
食後は、ザグレブ中央駅の前でトラムに乗る。ほとんどのトラムがブルーで4両程度の固定編成になっている。中には古いトラムも走っており、こちらは赤色で頑丈な連結器でつながれた2両仕立てである。チケットはトラムの車内でも買えるらしいが、キオスクでも買える。車内でチケットをパンチングするシステムである。
先頭に乗ったので、運転台がよくみえる。それではと、運転台の写真を撮ったら、なぜかバレてしまい撮影禁止だと咎められてしまった。色白で太っちょの運転手が恐い顔をして、指を左右に振って「ノーフォト」という。運転手には後ろに目が付いているのだろうか。でも、軍事機密でもあるまいし、トラムの運転台くらい撮らせてくれても良いじゃないか。電車の写真を土産に待っている友達がいるのだ。ちょっと不満である。
トラムはイェラチッチ広場まで戻ってきたが、1つ乗り過ごして次の停留所で降りる。ここで宿に帰る組と、市内観光を続ける組に分かれる。ボクは市内観光を続ける。
近所で銀行を見つけたので、さっきできなかった日本円の換金を行う。そして、新市街と旧市街を結ぶケーブルカーに乗る。運賃は5クーネ。たった30秒くらいの乗車時間だが、老女が孫らしき子供連れでやってきたり、女学生たちが乗ってきたりと賑やかである。老女が孫の写真を撮るので、先頭の窓際の席を譲る。和やかな車内である。
カーブルカーの終点には、ロトルシュチャク塔がそびえている。煙と何とかは高いところに登るというので、我々も登ってみることにする。急な回り階段がつづき、初老人にはなかなかにキツイ。天辺には街を一望できる展望台があったが、大砲が一門そなえてあった。旧市街時代の遺物だろう。これで敵にそなえたに違いない。
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