初老人たちの西安散策
2012.5.12−記
第1日目 西安に到着
第2日目 兵馬俑を見に行く 我要酒 国民不能喝
第3日目 城壁上のレンタサイクル
第4日目 イスラム寺院
第5日目 乗り継ぎは大変 雨中居のトップに戻る


第4日目   イスラム寺院  

 3月18日(日)
 今朝はゆっくりとホテルを出る。
ホテルの前の東新街を西に進み、清真大寺へと向かう。
北大街をすぎると、イスラムっぽい雰囲気が漂ってくる。
とあるレストランの前では、従業員が並んで朝礼をやっている。
清真大寺の裏へと進む。
このあたりはイスラムを信じる人たちが住んでいるようだ。
中国人と言うより、アラブ人のような顔をした男が、道端で屋台を商っている。

 買い食いをしながら、ディープなイスラム街へとすすむ。
道はどんどん狭くなり、車が通るのもやっとである。
朝ご飯に何を食べるか、付近を物色しながら、ブラブラと歩き続ける。
裏通りといった感じの道から、商店街へとでた。
中国とアラブがミックスしたような街だ。
清真大寺の参道に近いらしく、人通りも多い。

 路上のテーブルでは、男たちがパンを大豆くらいの大きさにちぎっている。
何をするのだろうとみていると、どうやらそれはドンブリに入れて食べるものらしい。
ドンブリが出てくるまでの間、男たちは世間話でもしながら、手持ち無沙汰のようにパンをむしっている。
ドンブリに入っているスープと混じって、ふやけて大きくなり、朝食の具になるのだろう。

 我々も挑戦してみることにした。
良く見ると、その手の店はたくさんある。
とある1件に入る。
愛想良く迎えてくれ、テーブルにつく。
しかし、どう注文すれば良いか、まったくわからない。
壁に書かれているメニューを指さす。
すると若い男性が、カタコトの英語を喋った。
羊の肉とか内臓とか、さまざまなドンブリがあるようだ。
われわれもパンをちぎる。
小さければ小さいほど良いらしい。
平均15元くらいだろうか。
残念ながら、どんな味だったか記憶にない。

 2人が並んで歩くのがやっと、と言った細い路地に入る。
ここが清真大寺への参道らしい。
両側には土産物屋がびっしりと並んでいる。
店を冷やかしながら、ところどころで土産物を買う。
やがて清真大寺の入り口にでる。
修理中らしく、シートがかかったり、何だかすっきりしない。
しかし、25元の拝観料は、しっかり取られた。

清真大寺の境内

 地元の人たちの憩いの場になっているようで、老人たちが小さな子供を遊ばせている。
世間の喧噪から隔絶されて、車も来ないし、良い遊び場である。
イスラムの寺院らしいが、造りは中国風である。
おそらく途中で宗旨替えをしたのだろう。
中国人の若者にカメラのシャッターを頼むと、3人が代わる代わるに、アングルを変えてシャッターを切ってくれた。

 高級餃子を食べた場所は、ここからすぐ近い。
鐘楼は西安の中心といっても良い。
鐘楼のある広場まで行く。
スタバがあった。
コーヒーを飲むことにする。
しばしの休憩。
最終日の今日は、これから各人の自由行動ということになった。
デパートを見学に行く者と、町歩き・お寺巡りをする者に分かれる。

 ボクは広仁寺をめざして、3人で歩き出した。
広仁寺は城壁の北西の角にある。
そこまで街の中心から歩く。
途中で、歌謡ショーをやっている公園を通ったり、公団アパートのようなところをぬけたり、果物を買い食いしながら街を歩く。
あたりには生活臭がただよい、庶民の世界である。
路上で麻雀に興じている老人たちに出会った。
ルールがずいぶんと違うようだ。
岡目八目。
小さな雀荘がある。
こちらでは女性たちが麻雀に興じている。

 性病科と書かれた病院の前で、男女が深刻な顔で話し込んでいる。
女性が責任を取れと男性に迫っている、といったお話を勝手に想像して大笑いだった。
広仁寺に到着。
ここはチベット教のお寺で、マニ車があった。
さすがに五体同地をしている人はいなかったが、マニ車を回してお参りする人はいる。
我々もマニ車を回す。

 ここで二手に分かれる。
2人の連れは、ホテルへタクシーで戻る。
1人になったボクは清真西寺まで歩く。
広い蓮湖路を東へとすすむ。
蓮湖路から右に折れて、清真西寺への道へと入る。
何だか庶民的な臭いがしてきた。
それと同時に、イスラム色が濃くなってくる。

 公厠に入る。個室に扉がなく、金隠しもない。
床に穴が開いており、穴の下は奥へと傾斜が付いている。
成果物は徐々に奥へと崩壊していき、やがて横に走る溝へと合流していく。
成果物は見えるが、特有の臭いはない。
オジサンが2人、こちらに向いてしゃがんでいた。
彼らの視線を背中に感じながら、小用をすませる。

椅子に座っているのは近代化が始まった証拠

 路上では将棋をやる人たちがいた。
歩道に尻を付けて熱中する人もいたし、テーブルを持ちだしている人もいた。
ご多分に漏れず、将棋をやっているのは男性だけ。
しかもやや中高年者が多い。
それを大勢の男性たちが、岡目八目に取り囲む。
あたかも自分でやっているように、口出しする人までいて、いずこも変わらぬ風景である。

 清真西寺に到着。
清真西寺はイスラムのお寺だ。
清真大寺は仏教寺院をイスラム信徒が使っている感じで、あくまで仏教様式だったが、清真西寺はドーム型の屋根を持ったイスラム式の寺院である。
本堂は階段を上った上にあり、ちょうど礼拝の最中だった。

 付近の写真を撮っているうちに、白い帽子をかぶった男性たちがゾロゾロと出てきた。
礼拝が終わったようだ。
そのうちの1人が、ボクに近づいてくる。
何だろうと思っていると、カメラに興味があるらしい。
男性の興味は世界共通である。
言葉が通じないので、手振りで何か訴えるが、よくわからない。
撮る方向を指示しているようだ。
笑い顔だから、怒っているのではないようだ。

 いつも思うけど、イスラムというのは奇妙な宗教である。
礼拝するのは男性だけ。
モスクに入れるのも男性だけ。
道端にカーペットを敷いて礼拝するのも男性だけ。
コーランには女性も書かれているだろうに、女性が祈る姿はついぞ見たことがない。
そうでありながら、女性も敬虔なイスラム教徒である。
女性はどこで祈っているのだろうか。

清真西寺の本堂はドーム屋根

 それにしても西安までイスラムが浸食しているとは、イスラム教は本当に世界宗教だ。
人びとがイスラムに引かれる理由は何なのだろう。
生きていくの厳しい地域にイスラムは多い。
最近でこそアラブは石油で潤っているが、3世代も遡れば、ラクダに乗っていたはずである。
西安からカザフスタンまでは、不毛の地と言って良いだろう。
こうした地域でイスラムは根をはっている。
おそらく生きることが厳しい地域には、イスラムの教えが適していたに違いない。

 清真西寺をでて、露店で匂い袋を買う。
蓮湖路まで戻る。
ここでバスに乗って、解放路まで行く。
バスに乗ると、子供がすぐに席を譲ってくれた。
かつて老人の知恵がきわめて大切だったから、どこでも途上国では老人が大切にされている。
近代化がすすめば、老人の知恵など役にたたなくなるから、老人の地位は低下するばかりだ。
むしろ、年金や高額な医療費など、老人は社会のお荷物になっている。
一人っ子政策の中国では、今後は老人問題が大変だろう、と余計なことを考える。

 バスの行き先は推量していたとはいえ、バスの進路を注視していないと、どこに連れて行かれるかわからない。
しかし、西安は碁盤の目のように、道路が直交しているので判りやすい。
解放路と東新街の交差点でバスを降りる。
ここからはホテルまで近い。
歩いても10分とかからないだろう。
6時集合になっていたので、遅刻かなとちょっと焦る。
6時5分過ぎにはホテルに着いた。
すでに全員集合していた。

 今夜は近所のレストランに行くことになった。
道路の反対側に、レストランのネオンが見える。
しかし、道路の幅が広く、中央分離帯もあるので、簡単に渉ることができない。
少し西の方へと歩いてから、横断歩道を渡り、再び東へと戻る。
途中で酒屋によって、白酒を買ってからレストランに向かう。

 玄関扉の前の内側には、男女2人が立っており、にこやかに歓迎してくれる。
客席は2階だと案内されてテーブルにつく。
メニューをもってきてくれたのは良いが、何だか様子が変だ。
男性も女性もサービス係たちが、何となく我々を避けているような感じ。
言葉が通じないので、外国人には関わり合いになりたくないらしい。

 外国人と馴染みのない田舎に行くと、人びとは現地語で果敢に接近してくる。
身ぶり手ぶりで意思を通じさせようとする。言葉はまったく通じないが、外国人を避けると言うことはない。
少し近代化した人たちのほうが、外国人を避けるような感じがする。
英語の分かる黒服男性が登場。
やれやれである。
写真入りのメニューから何点か注文し、ビールで乾杯する。

 ホテルに戻り、1部屋に集まって飲み直す。
お酒がまわるに従って、だんだん口調も怪しくなる。
こうして西安最後の夜の更けていった。
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