20年ぶりのアメリカ
2011.10.5−記
第1日目 アメリカ再訪
第2日目 バーリントン、バーモント
第3日目 バーリントンの風景
第4日目 モントリオール
第5日目 モントリオールからボストンへ
第6日目 ボストンの安宿
第7日目 ワンダーランド
第8日目 セイラムの魔女
第9日目 ボストン市内
第10〜11日目 旅行も終わり
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第7日目   ワンダーランド  

第7日目(9月14日:水)
 タクシーでワンダーランド駅へ。
ワンダーランドにはチョコレート工場はないのか、とタクシーの運転手に聞く。
運転手も笑って、残念だねと答える。
ジョニー・デップが住んでいるかと思ったというと、大笑いしていた。

 ブルーラインでダウンタウンへと向かう。
今日はボストン美術館とイザベラ・スチュワート美術館に行くので、ガバメント・センター駅でグリーンラインに乗りかえる。
グリーンラインは行き先が、5ヶ所に分かれている。
しかも、途中駅で乗りかえるシステムではなく、行き先の違う電車が違う場所から発車する。

 ガバメント・センター駅では、ホームに行き先別のアルファベットが書いてある。
ボストン美術館のほうへ行くのは、EのHeath Street行きに乗れという。
他にもB、C、Dというアルファベットが書かれているが、ホームの前と後ろの違いしかなく、同じ車体だから実に判りにくい。
ボストンは人口60万人の小さな街だから、これでやっていけるのだろう。 

 グリーンラインはいくつか駅を過ぎると、地上に出た。
車と一緒に道路を走る路面電車というのではなく、きちんと独立した線路を走っている。
しかし、駅には駅員さんはおらず、乗降客は運転手に切符を見せる。
ただし、スイカ形式のチャーリー・カードの利用者はタッチするだけ。
まるでワンマンバスのようで、じつに長閑な異風景である。
これでは香港のほうが進んでいるではないか。

ボストン美術館の展示品たち
 イザベラ・スチュワート美術館に行くために、ロングウッド・メッド・エリア駅に降りる。
この電車は上りと下りでは駅の位置がずいぶんと違うので、ちょっと戸惑う。
降りたところが、すぐに道路である。
こぢんまりしたグリーンラインの電車は、オモチャのような踏切もあったりして新鮮に感じる。
線路に沿ってミュージアム・オブ・ファイン・アーツ駅のほうへ戻ると、イザベラ・スチュワート美術館は左手にある。

 中庭を持った4階建ての小さな建物だが、建物全体が美術館になっている。
入場料を払って中にはいる。
昼時になったので、まず食事と思ったのだが、工事中でカフェが閉鎖されていた。
困った顔をしていると、入場券は一日有効だから、外で食事をして戻ってこいと言う。
隣のシモンズ大学のカフェで、学生に混じってサンドイッチを食べる。
学生だった昔を思い出す。

 美術館に戻る。
彼女がここに住んでいたのだろう。
彼女好みの美術品が至るところに展示されており、金持ちになるのも悪くないと思わせる。
中庭の上空にはガラスの天井がかけられて、太陽光がさんさんと降り注ぐ。
冬の厳しいボストンでは、石造りの建物は寒いのではないかと思ったが、全乾暖房が施されており暑いくらいだ、と監視員の男性はいう。

 床のスパンが広く取られているらしく、ときどき床が揺れる。
地震ではないかと、監視員に聞くと、そうではないと言う。
10日ほど前に大きな地震があって、この建物も揺れたという話から、日本の地震の話になった。
もちろんフクシマの話もでた。
今年は大きな災害が多くて悪い年だ、来年は良い年になって欲しい、と彼がいう。

 イザベラ・スチュワート美術館から隣のボストン美術館にまわる。
ボストン美術館は有名な美術館だが、収蔵品の一部しか展示していないので、見る物は意外に少ない。
ノーマン・フォスターによって増築工事が完成した後で、新旧の対比が鋭い。
ノーマン・フォスターは大規模な構想力はすごいが、ディテールはちょっと大味な感じがする。

 入り口でもぎりのオジサンに呼び止められる。
何だろうと思っていると、ボクの持っているカメラに目を止めたのだ。
彼はキャノンの5DマークUと7Dのどちらを買うか、本当に迷ったのだそうだ。
プリントを見ても、両者の違いが判らなかったので、7Dを買ったのだという。
マークUは3000ドルを超えているから、ちょっと手が出なかった、と照れながら言う。

 ボクのレンズはEF28−70だったが、これに鋭く目を止めて、自分のは24−70だと自慢げに言う。
カメラへの出費を抑えて、レンズにお金を投じるのはスゴイと賛意を表す。
しかし、28−70を使っていることから、ボクのキャリアを想像したらしく、仕事そっちのけでカメラ談義に誘い込む。

 今回の旅行で、ボクのカメラが注目されたのは、これで2度目である。
さすがに先進国である。
一眼レフのデジタル・カメラは高価で、途上国では庶民の手に届くものではない。
だから、5DマークUかどうかなどには感心がいかない。
ましてや、24−70と28−70の区別など、話になりようがない。

 MGの話といい、カメラの話といい、どこにもオタクはいるものだ。
たしか、ソウルでも写真サークルの人と出会って、やれ4×5がどうしたとか、ブローニーがどうしたなんて話をした覚えがある。
翌々日の話だが、ボストンのヘイ・マーケットでは、フィルム・カメラを使っている学生達に出会った。
アメリカであるにもかかわらず、T−Maxではなくイルフォードの400を使っているということだった。

 ボストン美術館は浮世絵の収蔵で有名だが、退色を恐れてほとんど展示しないらしい。
そのせいもあってか、展示品で感心したのは、アフリカの物とエジプトの物だった。
アフリカの展示物は、人間のなまの情感にあふれている。
近代に行き詰まった西洋人たちが、素朴で力強いアフリカの美術に頼っていったのが良く理解できる。

 アメリカ人のための美術館だから、アメリカの展示がもっとも広く、次がヨーロッパといった感じである。
こうして展示物をみると、アメリカの歴史がいかに短いか、よくわかる。
また、ヨーロッパからの移入であるかも理解できる。
アメリカ人たちがヨーロッパにコンプレックスを持とうというものだ。

 ミュージアム・ショップで買い物をする。
店員さんはボランティアとおぼしき妙齢の婦人である。
息子が日本に6年間住んでいたので、その間に、彼女も日本に来たのだという。
彼女は日本人のように美しく包装できなくて、と恐縮している。
地震や原発の話になり、ずいぶんと力づけられた。

 ボストン美術館をでて、またグリーンラインにのる。
ヘイ・マーケット駅でおりて、ポール・リビアの家へと向かう。
場所は簡単に判ったが、ちょうど今閉めているところで、残念だった。
すると、雨が降り出した。
雨宿りしていたが、あたりはイタリア人街。
レストランが沢山ある。
雨宿りしているのも馬鹿らしい。
とあるレストランの玄関先なのだ。

 しばらく空を見ていたが、雨はやみそうもない。
ちょっと早いけど夕食にしようと、そのレストランに入る。
元気のいいイタリア娘がサービスしてくれる。
結婚式があるらしく、正装した大勢の客が2階へと上がっていく。
アメリカでは他の料理のレベルが低いから、イタリア料理が美味しいと言われるのは理解できる。 
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