20年ぶりのアメリカ
2011.10.5−記
第1日目 アメリカ再訪
第2日目 バーリントン、バーモント
第3日目 バーリントンの風景
第4日目 モントリオール
第5日目 モントリオールからボストンへ
第6日目 ボストンの安宿
第7日目 ワンダーランド
第8日目 セイラムの魔女
第9日目 ボストン市内
第10〜11日目 旅行も終わり
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第6日目   ボストンの安宿  

第6日目(9月13日:火) 
 Red Roof Inn から駅まで歩くのは不可能である。
やっぱりタクシーの世話になる。
ホテルとタクシー会社が契約を結んでおり、ワンダーランド駅へは16ドルという協定らしい。
フロントでタクシーを呼んでもらう。

 10分ほど待つと、赤い車体のロイヤルタクシーが来た。
アメリカの車は小型化しているが、タクシーは相変わらずフルサイズのままである。
ワンダーランド駅へと言って、タクシーに乗り込む。
タクシーの運転手は実に好い加減な奴で、16ドルと決まっているからか、自分の知り合いに声をかけるために寄り道している。
運転席からの話が終わったので発車。

 ワンダーランド駅はブルーラインの終点である。
地下鉄も、レッドライン、オレンジライン、ブルーラインは、おんぼろさ加減を除けば、我が国と同じ普通の車両である。
床は平らだし、扉は引き戸である。
駅員達はみな親切で、明るくノリ良く対応してくれる。
7日券を買った我々は、これから地下鉄の恩恵をたっぷりと受けることになった。

グリーンラインの車輌
 ブルーライン沿線はヒスパニック系の人が多く、ワンダーランド駅からもヒスパニックが乗り込んできて、車内ではスペイン語が飛びかう。
海岸線を走るブルーラインは、ビーチという名前の駅が2つもある。
この地下鉄の車内にも、進行方向と反対の案内板が掲載されている。

 ブルーラインはローガン飛行場の近くを通り、エアーポートという駅がある。
しかし、駅前からシャトル・バスに乗らないと、飛行場には行けない。
シャトル・バスは無料だが、駅と飛行場が接続していないのは不便である。

 ガバメント・センター駅でブルーラインから、グリーンラインに乗りかえる。
このグリーンラインというのが見物だった。
もともとは路面電車ではなかったかと思われる。
扉は折り戸だし、ホームが低く、電車に乗り込むのには、ステップを2段上がらなければならない。
しかも、車内には階段状の段差がありながら、車体はステンレス製と新しいのだ。

 2両固定連結と3両固定連結の計5両連結で、2両連結部分が連結台車であるのは理解できる。
しかし、3両連結部分の中央車輌は、台車が1つできわめて短い。
その短い車輌の前後に車輌が連結しており、台車は各車輌に1つしかない。
つまり3両の固定連結で、台車が合計3つしかない編成である。
こうした構成だから、急カーブも曲がることができる。

 車内から前を見ていると、ほとんど直角にカーブを曲がっていく。
驚くべき地下鉄である。
ところで、この地下鉄に限らず、運転手には女性が多い。
大型バスにも女性の運転手が見られるのは、運転は非力な女性でも充分に務まるのだと思う。
我が国の銀座線でも女性の運転手が2人いると言うが、これからはもっと増えるだろう。
驚いたグリーンラインだが、隣のパークストリート駅で降りる。

 今日はボストン観光最大の目玉である独立関係、つまりコモンという公園から出発するフリーダム・トレイルを歩きにいく。
ボストンはアメリカ独立に深く関わった街である。
独立関係の記念碑が至るところにある。

 コモン付近の記念碑を説明して廻るツアーがある。
10時半出発のツアーに参加することにする。
まず、観光案内所にいって切符と地図を買う。
そして、公園に戻ると、案内のおじいさんが昔のコスチュームで立っている。
手足が極端に細く、お腹が出ており、まるでおとぎの国から抜け出したようなスタイルだ。 

 彼は15人くらいの参加者を引き連れて、州庁舎→グラナリー墓地→キングスチャペルなどを説明してまわる。
ジョン・ハンコック、サミュエル・アダムスやボストン虐殺など、口角泡を飛ばして熱く説明してくれる。
アメリカ人なら中学・高校の歴史の時間に習うのだろう。
建国の歴史だから、アメリカ人には馴染みが深いはずである。

 外国人は、カナダ人夫婦とオーストラリア人のカップル、それに我々だけ。
カナダ人もアメリカ人の兄弟のようなものだから、アメリカ史には詳しいはずだ。
アメリカ史に馴染みのない我々には、オジサンの話に付いていくのが難しい。
それでも熱演につられて、1時間以上歩きまわった。

 最後には拍手が出ると同時に、参加者の全員が1ドルのチップを渡していたのが印象的だった。
まさにチップとはこういう時に渡すものなのだろう。
納得。
もちろんボクも渡したのは言うまでもない。
このツアーはノースマーケットで終わったので、McCormick & Schmick's Seafood Restaurant で食事をする。

 昼食時でちょっと待ったが、テラスに席が取れた。
折角だから、サミュエル・アダムスを飲む。
これが美味しい。
近くのテーブルには、女性のゲイと思われるカップルがいた。
彼女たちは灰汁抜けておりスタイリッシュで、デブの観光客が多い中で実に格好良かった。
陽光の中、ゆっくりと食事をする。

 食事を終えると、水族館のほうへと歩く。
ここで市内観光のバス発着所を発見。
シティ・ビューというトロリーツアーバスにのる。
トロリーツアーといっても、電気式のバスではなく、ディーゼル・エンジンの普通のバスである。
窓ガラスもなく、派手に車体に装飾している。

 このバスは市内を循環しており、一度チケットを買えば、どこの停留所で降りても良いし、どこで乗っても良い。
見たいところがあったら、そこで降りて見学し、また次のバスに乗ればいいのだ。
それにこのチケットで、ボストン湾のクルーズにも乗れる。

 午前中に歩いた場所を巡り、やがてチャールズ河にかかる橋を渡り、対岸へと進んでいく。
ここにはコンスティテューション号が係留されている。
1800年代に活躍した大きな帆船で、アメリカ海軍の管理化にあり、現在でも航行可能なのだそうだ。
我々もここで降りる。

 コンスティテューション号はフリーダム・トレイルのコースにも入っている。
入り口では身分証明書をみせると、手の甲にスタンプを押してくれる。
海軍の管轄だというので、空港のような荷物検査がある。
そこを通ると、簡単な博物館とミュージアム・ショップ。
コンスティテューション号への案内付きのツアーがあるが、それは無視して船にのる。

コンスティテューション号の船内
 船の中では、昔の水兵服を着た兵士が、観光客相手に懸命に説明している。
3層になった船内は、ハンモックが所狭しと吊られ、今の船からは想像もつかないスパルタンな仕様。
ハンモックのすぐ隣には、大砲がズラッと並んでいる。
まったくの大広間形式で、将官の部屋と作戦室だけが区切られている。
しかも、船室といっても外気とはツウツウなのだ。
台風など中では、たやすく海水が船室に入ってしまう。
これでは寒冷地の航海など、大変だったろう。

 ツアーバスを運行する会社は3社あり、他の会社のバスには乗れないが、ほとんど同じコースを走っている。
またツアーバスに乗る。
街のあちこちを巡りながら、出発点に戻ってきた。
幸運にも今日最後のボストン湾のクルーズに間に合った。

 ボストンのダウンタウンは、一辺が1キロちょっとの小さな正方形に納まってしまう。
小さな街だが、高層建物が建ちならび、海から見る景色は素晴らしい。
船はアメリカ国旗をなびかせて、静かに進む。
下船すると、乗船時に撮った写真を売っている。
我が国の観光地とまったく同じやり方。

 帰りのアムトラックの予約をしに、南駅へと行く。
しかし、17日にバーリントンへ直行する列車はないことがわかる。
途中で乗りかえなければならず、しかも一泊する必要がある。
残念ながら、またグレイ・ハウンドに乗ることになった。

 グレイ・ハウンドのカウンターには誰も人がいない。
発券機が3台並んで、そのそばに男性が立っているだけだ。
彼にグレイ・ハウンドの人かと聞くと、その応えが良かった。
「Unfortunately」
素晴らしい返事で、彼は発券機の操作を教えてくれるのだ。

 グレイ・ハウンドの切符を買って、地上階に降りてくると、中華街がみえた。
駅の近くで食事のできるところがわからないので、夕食は2晩続きの中華料理になった。
夕べより、ずっと中華料理だったが、大盛りぶりにたじろぐ。

 帰りはオレンジラインにのって、モールデン・センター駅で降りる。
ワンダーランド駅のほうが近いのは判っているが、タクシーが拾えないのだ。
それで仕方なしに、モールデン・センター駅で降りている。
タクシーは昨日と同じ運転手だった。
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