20年ぶりのアメリカ
2011.10.5−記
第1日目 アメリカ再訪
第2日目 バーリントン、バーモント
第3日目 バーリントンの風景
第4日目 モントリオール
第5日目 モントリオールからボストンへ
第6日目 ボストンの安宿
第7日目 ワンダーランド
第8日目 セイラムの魔女
第9日目 ボストン市内
第10〜11日目 旅行も終わり
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第4日目   モントリオール  

第4日目(9月11日:日)
 日曜日で街は静か。
チャイナタウンへ行くために、地下鉄に乗ろうとしても、Peel 駅?の入り口が閉まっている。
道行く人に聞けば、日曜日は閉まる入り口なのだとか。
深夜でもないのに、公共交通機関の入り口が閉まるとは、聞かれたカナダ人女性も呆れていた。
別の入り口から、地下鉄におりる。

 乗車賃は1人2ドル25セント(カナダ通貨)である。
ボクたちはカナダ通貨を持っていなかったので、アメリカ・ドルを出した。
すると、次回からカナダ通貨を用意するように言うだけで、ちゃんと切符を売ってくれた。
カナダ通貨とアメリカ・ドルは、ほとんど1対1だったはずだが、ドル安でちょっとカナダ通貨が強くなっている。
それにしても、カナダとアメリカの繋がりは強いと呆れた。

 Berri-UQAM?駅で乗りかえて、Place-d'Armes? 駅で下車。
まだちょっと朝が早いらしく、中華街の店は開店準備の最中である。
そのなかですでに客が入っている店がある。
テイク・アウトの食料を買っているのだ。
11時からはテーブル席もオープンするというので、テラスでちょっと待つことにする。
中に入ってみると、ブッフェ・スタイルの店で、客が自由に取ってテーブルへ運ぶシステムである。

 膨大なメニューで、前菜から主菜、デザートまで、それぞれが20種類くらいある。
主菜に至っては30種類を超えるだろう。
食べ放題だから、隣の人たちはお皿を山盛りにして、何度もテーブルとの間を往復している。
ボクも頑張ってみたが、2回通うのがやっとだった。
これで1人10ドルである。
何と安い!

 お腹も一杯になったので、コーヒーの飲めるところを捜す。
のんびりと歩きながら、歴史的保存地区に向かう。
高校生の修学旅行だろうか、アメリカからの観光バスが停まっている。
先生らしき人が、こちらが教会でこちらがレストラン街だと、学生に説明している。
これから自由行動になるのだろう。

モントリオールの駅だった古い建物

 裁判所の前から、ノートル=ダム通りを北東の方角に向かう。
右手には古い建物がたくさん見える。
その先はセント・ローレンス川だろう。
川のほうへと緩い下り坂になっている。
まだ暖かい日差しの中を下っていく。
サン・ポール通りにはいると教会が見えた。
入ってみる。
祭壇の前を左に進むと、博物館コーナーへと導かれる。
ここからは有料なのだが、尖塔まで上れる。

 受付には、古い時代のコスチュームを着た若者がいる。
彼にお金を払う。
木造の狭い階段をクネクネと上ると、だんだんと見晴らしが良くなる。
足元にはセント・ローレンス川が広がり、人が小さく見える。
しばらく写真を撮ったりして、モントリオールの風景を楽しむ。
再びサン・ポール通りにもどり、南のほうへと歩く。
この通りは古い街並みを残しており、多くの観光客で賑わっている。

 ノートル=ダム通りから下ってくる広い道路にであう。
この道路の中央は、植樹されており、道の両側にはテラスをはりだしたレストランが並んでいる。
日差しを避けるテントがかけられて、いかにも観光地である。
我々もお上りさんよろしく、レストランの客となる。

 中華街での食事から時間がたっていないので、お腹は空いていない。
食事はやめて地ビールをたのむ。
生の地ビールはなかなか美味い。
強い日差しに、客がテントを出してくれと言っている。
そういえば、ウエイトレスが「Do you need sunshin?」と聞いていたっけ。

 広い通りを下って、再びサン・ポール通りを南に進む。
平行に走るコミューン通りを横切って、Centre des Sciences de Montreal へと進んでいく。
もうここは川岸といっても良い。
1時30分発の市内観光の2階バスが発車しようとしている。
それを呼び止めて、飛び乗る。
2階は屋根がないので、見晴らしが良い。
一番前の席が空いているので、特等席を占領する。

教会の尖塔から天使像を見る

 バスガイドの説明が、スピーカーを通して聞こえる。
判りやすい。
バスはモントリオールの旧市街をゆっくりと走る。
途中で、炊き出しに並ぶホームレスの長い列を見てしまった。
約1時間、出発点に戻ってきた。
日曜日のせいか、広場ではイベントが催され、人はのんびりとくつろいでいる。
我々もその間でしばらく時間を過ごす。

 博物館のほうへと歩き、歩道にひろげたテントのレストランに入る。
テーブルにつこうとすると、ウェイターが食べ物ができないといって、メニューを見せない。
お茶でかまわないというと、露骨にイヤな顔をした。
なぜか気が付かなかった。
それを無視してテーブルに座って、コーヒーを注文した。
メニューを見せないのを不思議に感じたが、次の客にはメニューを見せて、笑顔で注文を受けている。

 コーヒーは出てきたが、最初のウェイターは来なくなってしまった。
他のウェイターも何かよそよそしい。
おそらくアジア人差別だろうと思う。
真っ白なコーヒーカップを出すスノッブな雰囲気のこの店は、アジア人を歓迎していないのだろう。
露骨なアジア人排斥は、久しぶりで不快きわまりなかった。
チップは5セントのニッケル1枚である。

 日の暮れ始めた街を、ベスト・ウエスターン・ホテルへと戻る。
モントリオールの街は、北側の山から南の川へと緩い勾配がある。
そのため、ホテルに戻るには道を登ることになる。
すでに街の概要は分かったので、歩いてホテルに戻ることにする。

 Complexe Desjardins や Place des Arts などを通りながら、北へと向かったのだが、何だか雰囲気が違う。
あたりは学生ばかりである。マギル大学のほうへと行き過ぎてしまったのだ。
あわててシェルブルーク通りに戻る。
見なれた風景が戻ってきた。
またCrescent 通りで、夕食をとって一日が終わっていく。

 ホテルに戻って、ボストンでのホテルを探す。
ベスト・ウエスターン・ホテルでは地階にパソコンをおいており、無料で使うことができる。
パソコンは良かったのだが、ボストンには100ドル台のホテルがない。
みな300ドル越で、タックスを入れると400ドルをこえる。
ずいぶんと捜して、やっと120ドルでRed Roof Inn を見つけた。
予約を入れる。

 しかし、ボストンではこのホテルで苦労することになる。
この時点ですでに、ちょっと嫌な予感がしていた。
そうは言っても、ボストンには5泊する予定だから、400ドル超えのホテルなど泊まるわけにはいかない。
ちょっと市内からは離れても、安いホテルにした。
結果として、これは間違いだった。
といった具合で、モントリオールの夜は更けていった。  
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