ハノイ→サイゴン
2011.6.10−記
第1日目 ハノイ再訪 ホアンキエム湖
第2日目 女性の喧嘩 水に当たる
第3日目 Google Hotel 阮朝王宮
第4日目 ツアー・バス 白人女性のタフさ
第5日目 ダナンへ サイゴンへ
第6日目 中国将棋 雨中居のトップに戻る


第5日目−2   サイゴンへ

 約1時間でタンソンニャット空港に到着。
1995年にサイゴンに行っているが、飛行場の記憶がまったくない。
152番路線バスが空港とベンタイン・バスターミナル(=サイゴン・バス・ステーション)を結んでいるというが、市内までは8キロと近いのでタクシーに乗る。

 高級ホテルは非常に便利だ。
マジェスッティクとだけ言えば、タクシーは直ちにホテルに向けて走り出してくれる。
これが安宿だとこうはいかない。
住所を言って、それでも通じないので、ガイドブックを見せて、となる。
それで通じれば良いほうだ。
もしバスで行ったら、ベンタイン市場からホテルまで歩くのだ。
お金があるというのは、便利にできている。

 飛行場でタクシーに乗るときには、案内の男性がタクシー番号を書いたカードをくれた。
事故やトラブルがあったときには、このカードを見せろと言うわけだ。
外国人相手の雲助けタクシーが多く、対策に乗りだしたのだろう。
タクシーは喧噪の街を走って、マジェスッティクに着いた。

 前回は何処に泊まったか覚えていないが、サイゴン川に面したマジェスッティクのあたりの風景は思いだした。
ベトナム戦争時にも営業を続けた2つのうちの1つが、マジェスッティクである。
そのため、特派員たちが根城にしたホテルで、開高健も泊まったとホテルのゲストブックに記されていた。

 今まで泊まってきた安宿とは、まったく雰囲気が違う。
安宿と高級ホテルは何処が違うのだろうか。
今回の安宿は、歯ブラシも石鹸もあったし、お湯も出た。
バスタオルも清潔だったし、ネットも無料でつかえた。
それに対して、マジェスッティクではパソコンはロビーにあって、ネットは有料である。
にもかかわらず、1泊400ドルも取るのだ。

マジェスッティクの看板の下にヤモリがはりついていた

 高級ホテルはフロントがしっかりして安全だからか。
従業員が制服を着ているからか。
建物や室内が立派だからか。
家具・調度が上品だからか。
アメニティー・グッズが良いからか。
バス・ルームの設備が良いからか。
ウエルカム・フルーツがあるからか。
すべてそうなのだろうが、最大に理由はおそらく信用なのだろう。
高級ホテルに泊まっていることが、その人に信用をつける。

 信用というのは一朝一夕には付かない。
ホテルがもっているその街での信用を、素性の判らぬ宿泊客に分け与える。
だから、ホテルのほうでも、宿泊客を値踏みしているに違いない。
ホテルの雰囲気にそぐわない客は、それとなく排除していくだろう。
そのためにも、丁重な対応と高級な雰囲気を演出して、貧乏人は入りこまないようにしている。

 かつて我が国でも、庶民は高級ホテルの前で引いてしまったものだ。
現在の我が国では、国民の多くが裕福になって、高級ホテルも敷居が低くなったから、もはや誰も引くことはない。
高級ホテルの雰囲気も、随分と庶民的になった。
しかし、途上国の高級ホテルは、先進国からの外国人というだけで、貧しい身なりの外国人も喜んで受け入れる。

 途上国の高級ホテルには、外国人はTシャツにビーチサンダルでも平気で入っていく。
しかし、フランス人はジョルジュXに、Tシャツにビーチサンダルで入るだろうか。
日本人は帝国ホテルにTシャツにビーチサンダルで入るだろうか。
また、日本人はジョルジュXに、Tシャツにビーチサンダルで入るだろうか。
いささか考えてしまった。

 今回のベトナム旅行では、物貰いが少ないことに驚いた。
サパでは外国人が食べているレストランには、モン人などの少数民族は立ち入り禁止だった。
いかにも貧しい身なりの少数民族が、レストランのガラス窓の外に佇むなかで、食事をするのはなかなか勇気がいる。
幸いマジェスッティクではそういうことはなかった。

 チェック・インして、シャワーを浴びる。
そして、すぐに外出する。
ドンコイ通りからレロイ通りへと歩く。
すでに街は暗くなりかけており、ベンタイン市場は閉まっている。
近くの定食屋で夕飯を食べる。
ここでも3品とって、ビールを飲む。
普通に食事が進んでいく。
食後にスイカをとるが、フエの宮廷料理ででたスイカより、はるかに美味しかった。

祠の壁に身体をすりつけて祈る人たち
土砂降りのなか雨宿り

 ベンタイン市場から少し西へ歩く。
何というお寺だろうか。
線香をもった人が、狭い入り口にひしめいている。
ボクも線香を買って、建物の中に入ってみる。
若い女性が多い。
線香を1本ずつ線香台に差して、みな必死で祈っている。
隣に変な外人が来ても、誰も気にしない。

 ガラスのトップライトをもった建物の中には、中央に祠のような建物があり、派手な身なりをした老女が立っている。
祠のまわりは人の波である。
それを掻き分けながら、祠の裏にまわる。
すると、祠の壁に身体をすりつけた男女が、必死の形相で願い事をしている。
ここは祈りの場というより、現世利益を願う場所のようだ。

 7時頃だったろうか。
雨の音が聞こえてきた。
たちまち土砂降りになった。
雨の中を走る人、雨宿りする人、ビニールのカッパを出す人と、変わらぬ風景が現出した。
雨の中をオートバイが走っていく。
ボクはお寺の前のパン屋さんに避難した。
ここはテントを大きく出しているので、店先に座って雨宿りができるのだ。
おそらく1時間くらいの雨だろうと思う。

 隣で雨宿りしている小さな子供をからかっていると、母親と目があって笑いかけてくる。
どこでも子供は可愛い。
また自分の子供に好感を示されると、どこの親も嬉しいものだ。
子供と戯れながら、突然降り出した雨の風景を、しばらく観察する。
小降りになったので、隣の親子連れがビニールのカッパを着てオートバイに乗る。

 しかし、雨にあたったオートバイはエンジンがかからない。
何度挑戦しても、オートバイは音を発しなかった。
一度は雨の準備した親子たちだったが、仕方なしに降りてオートバイを押し始めた。
ボクも近くの喫茶店にコーヒーを飲みに行く。
ちょっとトイレにも行きたくなったのだ。

  サイゴンにはスタバのような喫茶店が、いくつか出来はじめている。
ベトナム・コーヒーはドロッとして独特の味だが、それとは違ってスタバで出しているような、何とかマキアートなどもあり灰汁抜けした味である。
もちろん高価で40〜50ドン位する。
しかし、ちょっとお洒落な感じが受けているのか、若者たちで賑わっている。
ここもそんな喫茶店の1つである。

 トイレに行くと、掃除も行き届き清潔になっている。
便座はきれいだから、さすがに便座の上にしゃがむ人はいないようだ。
洋式便器には紙の他に、水で洗う人のためにホースが設置されている。
これはどこでもそうだった。
ベトナムも用便後は、水で洗う習慣なのだ。
もう1つ面白いことは、洋式便器のとなりに、朝顔が設置されていることが多い。
ここもそうだった。

 昔は我が国でも、大便器と朝顔が別々に設置されていた。
もちろん朝顔は男性の小用のためで、女性は大小共にしゃがんで使うので、女性には朝顔は無用の長物である。
これは男性優位の名残だろう。
ベトナムでも山間部に行けば、女性も立ち小便をしていたが、都市部のベトナム女性はすでにパンツをはいているので、立ち小便はできないだろう。

 ところで、ベトナム女性の民族衣装は、アオザイといわれているが、もうアオザイを着ている人などいない。
空港職員などごく限られた人だけだ。
オートバイに乗るためか、スカートではなくズボンが多い。
彼女たちもお洒落に対しては、多いに感心があるようで、お尻のラインを強調したピッタリしたズボン姿が多い。
しかも、パンツのラインが見えないのだ。
よ〜く観察すると、Tバックをはいているらしきシルエットが見える。
ここでも近代化は急速に進んでいる。

 雨もあがったので、ホテルへ戻ることにする。
男女洗頭という怪しげな店の前を通る。
パーマ屋さんのような店構えだが、それにしては美しくメイキャップした女性が、冷たい表情で寂しげに佇んでいる。
一体、どんな洗髪をするのだろうと思いながら通過する。
ベンタイン市場の夜店の間を通って、ホテルへと向かう。
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