初老人たちの台中旅行
2011.3.23−記
第1日目 台北に到着 台中に到着
第2日目 鹿港へ遊ぶ 鹿港の市内探検
第3日目 建国市場から市内へ
第4日目 台鐵で台北へ 雨中居のトップに戻る


第4日目−1   台鐵で台北へ
 
 今日はもう帰国である。
台北から台中へ来たたのは新幹線だったから、帰りは在来線に乗ることにした。
帰りの飛行機は4時発である。
それに間に合うように、台北へ戻りたい。
在来線は台北が終点ではない。
その先に松山という駅がある。
そこが松山飛行場に隣接しているに違いない、と思ったのが大間違いだった。
この話は、松山に着いてからにしよう。

 10時20分の列車に乗れば、1時には松山に着く。
ということで、急行<?光号>に乗ることにした。
台中駅までは歩いても15分も見れば良い。
いままで朝食時に集合だったが、今日は9時集合にして、それまで自由時間にした。
もう一度、建国市場に行っても良いし、散歩しても良い。

早朝の台中駅前の路地裏

 ボクは早朝の街を散歩した。
台中駅やバスの発着所など、駅の付近には安宿など、いかにも風景が広がっている。
8時前とあって、あたりはまだ起きだしてはいない。
ほとんどの店がシャッターを閉めたままだ。
安宿では寝ぼけ眼の人がウロウロしている。
休憩200元・宿泊400元とあるが、日本のラブホテルとは違うだろう。
それとも、街のお姉さんとしけ込む宿なのだろうか。
朝早いので判らない。

 台湾の麺を食べてみようと、屋台で声をかけたが、売り子が出てこなかった。
仕方なしに他をあたる。
でも、なぜか商売熱心ではなく、どこも売り子がいないのだ。
朝早いといっても、すでに8時は過ぎている。
のんびりしているのだろう。
建国市場に買い物に出ていた仲間と出会う。
彼はシナチクを買ってきた。

台中駅前
台中駅のホーム

 9時にホテルのロビーに集合。
仲間の1人が夕べ食べ過ぎて、胃の調子が悪いと元気がない。
ホテルの精算を済ませて、荷物を引きずりながら、台中駅へと向かう。
140元で切符を買う。
新幹線が700元だったから、だいぶ安い。
5人が纏まって座れはしなかったが、座席には充分に余裕があるようだった。
まだ1時間近くある。
各自気楽に付近に探検にでた。
こういう時には大勢だと楽だ。
誰かが荷物の番をして、交代で探検にでることができる。

 ボクはキオスクで面白い絵はがきを見つけた。
列車内で書いて、台北で投函しようと思う。
切手はどこだとウロウロ。
案内所の人にきくと、駅前のセブン・イレブンまで案内してくれた。
何と親切なことと感謝していると、セブン・イレブンには国外への切手はおいてないとのこと。
今度はセブン・イレブンの人が、道路の向こうにある郵便局まで、連れて行ってくれようとするではないか。
親切さに感謝・感謝である。

 そう言えば、仲間の1人が台中人の親切さに感激していたっけ。
彼女が買い物をしに、とある店に入った。
しかし、店の人は英語が話せない。
すると隣の店から英語の話せる人がきて、長々と相手をしてくれたというのだ。
その人の利益にならないのに、本当に親切だったと言っていたのを思いだした。
最初のタクシーではヒヤッとしたが、台中の人はとても親切だった。

 列車を待っていると、仲間の1人が中年の女性と親しくなった。
いろいろと話をしている。
列車にのると、彼女はお菓子を我々全員に持ってきてくれた。
恐縮するコトしきり。
車内販売がくる。
弁当を買った。
ぶつ切りの鶏肉に、ご飯である。味が良くしみて、なかなかに美味い。

 5人の中で最も酒に目がないのは女性約1名。
その次がボク。
残りの女性2人は馬鹿飲みはしないで、よく程度をわきまえている。
そのうえ1人は、夕べ食べ過ぎて元気がない。
もう1人の男性はまったく飲まない。
ということで、全国大飯店から持ってきた紹興酒をチビチビやるのは男女約2名である。
どうしょうもない初老人2人である。

 この路線には、我々の乗った<?光号>以外に、もう1本急行列車が走っている。
それは<自強号>といって、より速い急行列車である。
そのため、途中で<?光号>を追い抜いていくのだ。
停車駅ではホームに降りてみる。デッキからホームへ降りる扉は、2つ折りの手動である。
列車が走り出しても、飛び乗ることができる。

 <自強号>がさっと通過した後、車内に戻る。
急ぐ旅ではないので、ダイヤどおりに着いてくれれば、何も言うことはない。
車中で葉書を書いたり、お酒を飲んだりと、残り少なくなった台湾旅行を楽しんでいる。

 定刻に台北到着。
ここでほぼ全員下車した。
我々は次の松山まで行く。
台北から松山まで10分くらいだったろうか。
定刻着は良かったのだが、飛行場への案内が見えない。
ばかにシーンとした駅である。
来たときはこんなに静かではなかったのに、変だなと思いながら案内所の女性にきく。
すると、外へ出てタクシーかバスでいけという。

 到着時のイメージがあるので、松山駅と松山飛行場は隣接している、と我々は信じて疑わない。
バスね、シャトル・バスがあるのだろう、くらいに思って表に出る。
タクシーなど無視してバス停を捜す。
駅前には工事中の建物があり、人通りが少ない。
バス停を聞くと、一筋表側の道路にあるという。
工事中の建物の向こうに、大通りが見える。
荷物を引きずって移動する。

 しかし、それらしい場所がない。
町の人に飛行場行きのバス停を聞くが、知らないという返事。
若い人に聞くと、彼等は何人もで相談してくれたが、知らないという返事。
えー! 地元なのに何で知らないの。
松山駅って松山空港とは違うの!?
ちょっと慌てた。

 飛行機の時間があるから、仕方なしにタクシーに乗る。
幸いに定員6人のタクシーが来た。
3列目のシートを起こし、全員がタクシーに乗り込む。
やれやれと思ったが、なかなか飛行場らしき風景が見えてこない。
飛行機の時間が気になる。
やっと飛行場の入り口が見えた。
現在の松山空港は、軍と共用になっているらしい。

 日本に帰って調べてみると、松山駅と松山飛機場駅とは1.5キロほど離れていた。
かつては両駅を松山飛機場線という支線があったが、1976年に廃止になったのだとか。
おそらく地下鉄で市内と結ばれたからだろう。
ボクは地下鉄と在来鉄道を混同していたので、松山駅と松山飛機場駅が同じものだと勘違いしていたのだ。
それにしても、地元の人が飛行場行きのバス停を知らないとはビックリ。

 2時過ぎには、無事、松山空港に到着。4時の離陸には充分に時間がある。
一同、安堵の胸をなで下ろす。
タクシーを降りても、飛行場内で歩く距離が短い。
こういう時には小さな飛行場はありがたい。
なにせ1階の入り口から、チェックイン・カウンターが見えるくらいなのだ。
すでにチェックインが始まっているが、その横で残った果物の整理をする。
つまり、日本に持ち帰れないメロンを、みんなで食べ始めた。

 ポストを捜すが、飛行場内にはない。
外へ出て地下の郵便局まで行けという。
大きな飛行場ならポストは構内にあるはずだが、小さな飛行場だから、こんなことも許されるのだろう。
確かに近い。
外のエスカレーターを降りたら、そこに郵便局があった。
切手の値段を確認して、ポストに投函した。
そして、荷物をパッキングし直して、チェックイン。

 松山空港は小さいくせに進んでいる。
チェックインはパスポートを機械にかざすだけなのだ。
すると、4人分の搭乗券が次々に出てくる。
ずらっと並ぶ必要はない。
搭乗手続きが連続でできるのは4人までで、5人目は次の手続きになるので座席が離れた。
しかし、とても便利だから、この機械は日本でもぜひ導入して欲しい。
チェックインが終わると、その場で荷物をあずけて搭乗手続きは、アッという間に完了した。

 2階へとエスカレーターで上り、出国手続きをする。
これで台湾ともお別れである。
街中で買い損なったカラスミを買って、残った台湾通貨を日本円に戻した。
残った小銭で、コーヒーを飲み、集合写真を撮った。
定刻4時に飛び立ったエバー航空のBR190便は、7時50分に羽田に到着した。
                              −了−


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