初老人たちの台中旅行
2011.3.23−記
第1日目 台北に到着 台中に到着
第2日目 鹿港へ遊ぶ 鹿港の市内探検
第3日目 建国市場から市内へ
第4日目 台鐵で台北へ 雨中居のトップに戻る


第2日目−2   鹿港の市内探検
 
 天后宮を左に見ながら中山路をすすむ。
中山路はこの街の中央通りである。
台湾や中国の街にはどこへ行っても、中山路とか中正路がある。
孫文を記念しているのだろう。
今日は休日らしく、街が閑散としている。
それでも屋台で買い食いをしながら、旅の楽しさを満喫している。
ちょっとエキゾチックで、この街へ来たのは大正解だった。

 中山路と民権路の交差点を、右に曲がる。
そこから50メートルも行かないうちに、鹿港古蹟保存区である。
1800年頃の建物が数百棟も密集して建っており、それがさまざまにリフォームされて使われている。
我々観光客が好む路地がきちんと整備されて、古い民家が並んでいる。
その両側には土産物を並べる店もある。

 古着を売る店かと思って、中庭を覗いたら洗濯物だった。
といった失敗も楽しい街である。
1軒の土産物屋には、いくつか壁掛け時計がならんでおり、そのうちの1つをとても気に入った。
持っていくにはちょっと大きいので、日本まで送ってくれるかと聞くと、梱包はするけど郵送は自分でやってくれと言う返事。
残念ながら見送ることにする。

釈迦頭

 しかし、しかし、これは後悔した。
すぐ近所に郵便局があったのだ。
梱包した物を郵便局に持ちこめば良いだけだったのだ。
気に入っていただけに、今考えても残念至極である。
それにしても、英語の話せない店員さんだったが、そこは漢字圏である。
筆談でほとんど通じるのだ。
意志が通じるのは、ありがたいことである。

 鹿港古蹟保存区から芸術村にまわるが、あいにく休館日らしく閉まっている。
ぼちぼち昼時である。
どこにしようかと彷徨っているうちに、郵便局の前の定食屋が目に入ってきた。
おかずを何品かとって、ご飯と一緒にテーブルで食べる典型的な定食屋である。
テイクアウトもでき、すこぶる庶民的な店で、ちょっと衛生面では問題がありそう。

 中では5〜6人のお客が食べている。
先人がいれば大丈夫だろう。
我々も入ってみる。
各自さまざまにおかずを頼み、テーブルに座った。
すると店の人が運んでくれるのだ。
ビールはないか? と聞くと、きっぱりとメイヨーという返事が返ってきた。
定食屋にはビールはないのかと諦める。
お互いにおかずをつつきあう。
食後のデザートには、近くで買った釈迦頭を食べる。
よく熟れていたので美味い。

鹿港古蹟保存区から裏の路地をみた芸術的風景

 定食屋ではトイレを借りる。チーソーは中国本土で覚えた言葉だが、ここでも通じた。
調理場の裏にあるトイレに案内してくれた。
水洗にはなっているが、紙は流さずに便器のとなりの籠に入れる。
言葉の判らない外国人が、5人も来て定食屋は大変だったろう。
でもお店の人も嬉しそうに笑っていたから、楽しい体験ができたに違いない。

 無事に食事もすんで、また街にくりだす。
交差点をわたるとすぐそこには、はるかに清潔な定食屋があった。
こっちにすれば良かったと後悔するが、後の祭りである。
ポチポチと街を歩く。
この街にはお寺が多い。
大きなお寺だけではなく、普通の住宅と変わらないくらいの小さなお寺が、街のあちこちにある。
しかも、どこのお寺も線香の煙が絶えないのだ。
なかなか良い雰囲気。

 九曲と書かれた道案内がある。
普通の路地は真っ直ぐなものだが、この路地は曲がって曲がっているから、九曲なのだそうだ。
海風を防ぐために路地を曲げたとあるが、ヒューマン・スケールというか何だかほのぼのとする。
いくつも曲がってはいるが普通の路地だから、両側には民家が建ちならんでいるのだけれど、観光客に開放しているらしい。

 もともとこのあたりの民家の造りは、路地に面して大きな開口部を設けていないので、室内が覗かれることはないようだ。
しかし、こんな路地を観光客に開放したら、プライバシーがなくなると心配するのは、ボクだけなのだろうか。
見て回るほうは面白いけど、住んでいる人たちは困らないのかと考えながら、写真を撮っているボクなのだ。

 九曲を曲がり終わると、鹿港国民小学校の前を通る。
鳳山寺をへて龍山寺にむかう。
鳳山寺も龍山寺も天后宮とちがって、ほとんど参詣者がいない。
静かな前庭、中庭である。
ここで初めて西洋からの観光客たちにであった。
西洋人とだと互いにニコッと笑うのに、日本人同士だと黙ったままである。
どうも変な感じである。

 本堂の裏には、また小さな庭が造られており、池があって鯉が泳いでいた。
その隣には、ばかにきれいなトイレがあって、その立派さに不思議な感じがした。
精緻な装飾や細工を持つこのお寺も、日の字型の構えを持ち、外部に対して塀をめぐらしている。
このあたりの建物は、普通の住宅も塀をめぐらした中庭型が多い。
日本のような開放的な造りではなく、むしろ地中海型の感じがする。

 龍山寺の脇にあるお菓子屋さんに入る。
お菓子屋といっても、観光ガイドに載っているくらいだから、おそらく有名な店なのだろう。
しかし、お客は我々だけ。
試食をしまくって、お土産用にいくつか買った。
途中で、地元の親子連れが来店して、お菓子を買っていたが、それでも長閑な風景である。
突然現れた日本人観光客に、嬉しい悲鳴を上げたかな?

 鹿港は小さな街で、歩いて巡るのには、ちょうど良い大きさである。
観光客への道案内も、あちこちに整備されて歩きやすい。
言葉は通じないが、地図を見せれば、たいていの人が親切に教えてくれる。
ということで、次は模乳巷にむかう。
これが妙な場所で、こんなものが名所になるのかと驚く。
100メートルくらいの、ただ狭い通路なのだ。

模乳巷の入り口から
 両側に家の外壁がせまり、50センチくらいの細い路地。
すれ違いは出来ない。
それだけ。
それが模乳巷という観光ポイントなのだ。
なぜこんな狭い通路が出来たのかも不思議だが、これが観光スポットになるのも不思議である。
とか言いながら、何だこれはと驚いて通過する。
途中では、壊れた坪庭みたいなのが覗ける。
反対側の入り口には、お店が隣接しているという普通さ。

 誰言うとなく、コーヒーが飲みたくなった。
この街では喫茶店はあっても、コーヒーではなくジュースを飲ませる店が多い。
さすがのスタバもこの街までは進出していない。
中山路にコーヒーを飲ませる店があったと思いだした。
そこで、街の中心地へと戻ることにする。
民権路から中山路へと曲がる。
すると5分くらい歩いたところに、コーヒー屋があった。

 サイフォンが並び、いかにも入れたてコーヒーを飲ませるといった風情。
受付のカウンターはあるけど、店内に椅子・テーブルがない。
歩道上にたった1つテーブルがあるきりだった。
いやいや、これでもOK。
しかし、メニューがすべて漢字なのだ。
コーヒーだけのようだが、何があるのだか判らない。
値段はみな同じ40元である。すると珍しいことに店主が英語を話した。
いわくブルー・マウンテン…。

 それそれとばかりに、ブルー・マウンテンを5つ注文する。
承知したと、店主は豆を挽いて、コーヒーを入れ始める。
我々はテーブルに座って待つ。
ちょっと風が冷たい。
待てよ、ストレートじゃないだろう。
ひょっとすると、ミルクと砂糖を山盛り入れるような予感がした。
ノー シュガーと確認する。
任せておけ、OKという返事。
やれやれと座っていると、紙コップにでてきたコーヒーには、たっぷりとミルクが入っていた。

 日本でも昔はコーヒーにミルクや砂糖をたくさん入れて飲んだ。
ストレートのコーヒーなんて、苦いだけでどこが美味しいのかと言われたものだ。
今でこそストレートで飲むが、ちょっと前までは甘いことが美味だったのだ。
台中の食事は全体に甘味が強いが、あと30年もすると、ストレート・コーヒーも普通に普及するだろう。

 牡蛎を食べたかったのだが、どうも雰囲気ではない。
まあいいやで、台中に戻ることにする。
バス停を聞くと、中山路と民権路の交差点を左に行ったところにあるという。
コーヒーを飲んだので、ぐっとリフレッシュして歩き出す。
すると交差点から100メートルも行かないうちに、バス発着所があった。

 来たときに乗ったバスは路線バスだったが、ここのバスは高速道路を通る直通バスである。
切符を買って、待合室に座る。
15分ほど待つと、マイクロ・バスがやってきた。
運転手は切符売り場のカウンターで、カップラーメンをすすっている。
マイクロ・バスを指さすと、ラーメンを食べながら黙ってうなずくので乗り込む。
ラーメンを食べ終わった運転手が運転台に座ると、バスは発車した。
街内で2・3ヶ所停まっただけで、高速道路にのって台中へと向かった。
直行便だけあって、1時間もしないうちに台中駅に着いた。

 ホテルへと戻る。さて、今夜の夕食である。
夕べはイマイチ充実しなかったので、ホテルで食事処を聞いてみた。
あなたがボーイフレンドと行くとしたらどこが良い? という質問に、返ってきた応えは、台灣香蕉新樂園だった。
じゃあ、そこにしようと、勇んでホテルを出る。

台灣香蕉新樂園の店内

 夕べの夜市の先である。
ちょっとあるけど、歩いてもいけそうだ。
台中技術学院の前を通る。
大きな大学らしく、若者たちがあふれかえっている。
この街には自転車が少ない。
歩道にはスクーターがびっしりと駐車している。
すでに辺りは真っ暗。大勢の人の間をかき分けて進む。
広い通りの両側には、煌びやかなビルが建ちならび、いかにもの繁華街である。

 ガソリン・スタンドのある五差路を右に曲がる。
しかし、実はここで道を間違えたのだ。
五差路を斜め右に行くのが正解だった。
孔子廟の前まで出てしまい、ここを左に曲がる。
ちょっと遠回りをしてしまったけど、無事に目的地に到着した。
台灣香蕉新樂園の前には、古い電車が停まっており、店内は横浜のラーメン博物館みたい。

 丸い中華テーブルだが、中央に回転する小テーブルはない。
料理を頼んで、もちろんビールも忘れない。
料理もビールも出てきたけど、周りの人はビールを飲んでいない。
どうも台中の人は、食事時にビールを飲まないらしい。
しかし、ビールのコップが可愛いという声があり、お土産に持って帰りたいという。
お店の人はこれは売り物ではないというが、会計の時に交渉して6ヶを120元で買った。

 ビールの時間は終わったので、真面目な台中人の前で、紹興酒など頼んでしまった。
さすがに紹興酒はあったが、いつもはあまり注文がないようだ。
何だか奥の奥から出してきたような感じ。
他のテーブルを見ると、お酒を飲んでいるのが1卓あった。
やっぱり台中人もお酒を飲むんじゃん、と安堵する。
しかし、しかし、そのテーブルの人たちとトイレですれ違ったら、日本語を話していたと仲間の報告があった。
全員がのけぞってしまった。
食事の味はイマイチ。

 今夜までホテルの予約はとってあるが、明日の晩はどうしようと、ホテルに戻って鳩首閣議である。
高雄や台南に行く案もあったが、ホテルの移動が面倒だという意見が多数。
そこで、もう一泊このホテルに泊まることにした。
そして翌日は、建国市場に行きたい、で決定。 
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