アンコール・ワットへ
2010.12.16−記
第1日目 シュムリアップまで ナイト マーケット
第2日目 アンコール・ワットへ アンコール・ワットの中へ
第3日目 昼食と市場と影絵
第4日目 アンコール・トム
第5日目 ロリュオス遺跡 西バライと民俗文化村
第6日目 再度、アンコール・ワットへ 雨中居のトップに戻る


第6日目−1     再度アンコール・ワットへ

 最後の日の朝、サマイには9時に迎えにきてもらった。
3時半に飛行場へのピックアップがくるので、半日の観光である。
もう一度、アンコール・ワットへ行くことにした。

 サマイが前に通った道ではなく、飛行場の前を通る別の道を選んでくれた。
長閑な田園地帯を、トクトクは快調に走る。
途中で良さそうなレストランを見つけた。
お昼はここにしよう。
Red Houseという名前を記憶する。

南からアンコール・ワットを見る
孤児のための学校

 アンコール・ワットの前には、あいかわらず大勢の人がいる。
12時に迎えに来てもらうようにサマイに言って、アンコール・ワットへと入っていく。
今日も韓国人の団体さんが多い。あちこちで韓国語が飛びかっている。
最初の日に行かなかった横手や裏のほうへと脚をのばす。

 向かって左の奥にも、僧院らしき建物がある。
人影もまばらだが、Angkor Wat Pagoda School for Orphahed Children がある。
戦争孤児のための学校らしいが、今は誰もいない。
でも、ちょっと変だろう。
Orphahed の綴りが間違っており、Orphaned とh の上に伸びた部分にマジックが塗られている。
n でも h でも、意味は分かる。
こんな大らかさが良いね。

 このあたりは人が生活しているらしく、観光客が歩く遺跡とはどことなく感じが違う。
学校をでて、また遺跡に戻る。
前回見残した部分を歩く。
そして、そのまま裏口から、まっすぐ東のほうへと向かう。
鬱蒼とした木々がたちならび、猿がたくさんいる。
韓国人達が猿に餌をやっている。
どこでも同じ風景だ。

 そのまま歩くと、東門にでた。
その外は、もう水のはられた堀である。
裏門らしく、あまり人は出入りしていないが、それでも何人かが通る。
バイクに2人乗りをした現地の人が通った。
池の向こうには、観光バスも見える。
観光客を乗せた電気自動車が、観光バスのほうへと走っていった。
お昼近くになってきたので、のんびりと正門のほうへと戻る。

 いつもは時間どおりに来るサマイが来ていない。
しばらくサマイを捜す。
5分くらい遅れてやってきた。
サマイはじつに慎重な運転手で、カーブでは充分にスピードを落とすし、他のトクトクに抜かれても気にしない。
彼はゆっくりと、マイペースを守っている。
今回こそ時間にくれたが、遅刻したことをしきりに謝っていた。

 ボクはサマイを選んで良かったと思う。
この旅行記を読んでシュムリアップへ行く人がいたら、サマイのトクトクに乗ってやって欲しい。
彼の携帯電話は、下記のとおり。
Tel−012959318

 昼食をRed House で取りたいという。
Red House の場所を説明すると、彼はすぐにわかった。
アンコール・ワットから1キロとはなれていない。
地元の人たちが来るレストランだと思う。

 Red House に着くと、意外に奥が深い。
前庭から中央の建物の両側に、ニッパ椰子でふかれたバンガローが並んでいる。
すでに何人かが、その中で食事をしている。
バンガローの中は、竹の床が張られていり、人はそこに車座になって腰を下ろしている。
床に敷物をして、そこに食べ物が並んでいる。
テーブルを使わずに床に食べ物を並べるのは、アラブやアフリカなど世界中で見る食事の風景である。

バンガロー式のレストラン
 竹の床の上も良いのだが、ボクは床座をすると腰が痛くなる。
隣のバンガローにはテーブルがあったので、テーブル席のほうに座る。
そして、隣で現地の人が食べているのと、まったく同じものを食べたいと頼む。
サマイが隣のバンガローを見に行って、調査をしてきてくれた。
しかし、なかなか要領を得ない。

 そこでサマイがいつも食べているものを、メニューから選んでもらう。
ビールを注文する。
大瓶がなく、しかも冷えていないという返事である。
やはりビールは贅沢品なのだろう。
冷えてなくてもOKというと、氷を入れたピッチにビールを入れてきてくれた。
そして、ビールの中にも氷を入れろと、別に氷を持ってきてくれた。

 氷が大丈夫だろうか、とちょっと悩んだ。
しかし、お目付役はすでに氷り入りのグラスに、嬉しそうにビールを注いでいる。
本当は氷が危ないのだが…、もう帰りだから良いとするかと目をつぶる。

 花付きの植物がでてきた。
菜っぱのようなもので、味噌のようなものをつけて食べるのだという。
サマイが好きらしく、にこにこして口に運ぶ。まか不思議な味だ。
それに魚のスープ。
中央に穴の空いた鍋に、澄んだスープが白身の魚をみせている。
これは微妙な薄味で、美味しかった。

 ここは街からも離れているし、観光バスも来ない。
地元の車が止まっているだけだ。
そのためか、英語がまったく通じない。メニューもない。
メニューを見て頼むような客は来ないのかも知れない。
サマイがいなかったら困ったことになっていた。
食事が終わる頃になって、メニューがでてきた。
そこには値段が書かれていたが、ほとんどの料理が2ドルである。
3品とビール小瓶3本で、11ドルだった。
充分に満足した。

 のんびりとホテルに向かう。
サマイにお金を払って、2ドルのチップと使い残りのリエルをわたす。
意外だったのか、嬉しそうな顔である。
握手をしてわかれる。
もう2時間もすれば、ピックアップに来る。
それまで、プールで時間をつぶす。

 帰路は、シュムリアップ→ホーチミン、ホーチミン→成田ともに、ベトナム航空だった。
機内は快適だったが、乗り継ぎ時間が5時間もある。
ホーチミン発は0時15分である。夕食は機内ではなく、ホーチミン空港で食べるようにと、クーポンが渡された。

 しかし、このクーポンの使える場所が判らない。
ホーチミン空港は社会主義国らしく、サービスが極端に悪い。
店員さんたちはお互いのお喋りに余念がなく、クーポンを見せて、場所を尋ねてもいとも簡単な答えだけである。
おまけに、クーポンの使える食堂では、ボーイさん達がこれまた最悪の対応である。

 おもわず名前を聞いたら、胸に吊していたIDカードを、テーブルの上につきだした。
カードから名前を書き写す。
すると、白人の中年男性が、クーポンを見せながら、ボーイさんと激しい口論を始めた。
日本人は言葉ができないせいもあって、ボーイさんと口論するようなことはないが、外国人達は理不尽なことには抗議する。

 今回はシュムリアップへのカンボジア旅行だから、ベトナムは関係ない。
しかし、国際競争の激しい昨今、ホーチミン空港のサービスは時代遅れだろう。

 真夜中にホーチミン空港を発った飛行機は、定刻の7時30分に雨の成田に着いた。
常夏のカンボジアから12月の東京へ帰ってきたので、寒いかと思ったら、気持ち悪いほどの暖かさであった。
                               −了−

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