団塊たちのソウル
2009.4.5−記
第1日目 金浦空港まで ソウル、第1食目
第2日目 お巡りさんと青瓦台 老人公園、宋廟、焼き肉
第3日目 南大門市場から韓屋マウルへ 民家と高層アパート
第4日目 犬の肉を食べにいく 雨中居のトップに戻る


第3日目   民家と高層アパート  


 韓屋マウルの入り口で落ちあった一同は、三清洞から北村へと向かう。
北村は新しく整備され始めた地域で、古い民家を復元しながら保存している。
こちらは庶民の住まいである。
かつてはソウルのどこにでもあった民家が、近代化で壊されてしまった。

 どこの国でも失ってしまってから、その貴重さに思い至るのだ。
この地域には、復元・保存のために、市の補助金がでているとか。
そこここで職人たちが働いていた。
博物館のようになっているところもあったが、月曜日が休館だとかで、建物の中には入れなかった。

保存されはじめた民家
民家がギャラリーへ
 古い街並みを壊して、高層アパートをつくってきたソウルである。
庶民たちは、一戸建てに憧れているのでは、とAさんに質問する。
すると、ソウルではアパートの値段が高く、また1住戸の床面積が広いことや、駐車場が完備されていることも手伝って、一戸建てよりアパートのほうが人気なのだという。

 今回の宿であるYMCAホテルの付近は、昔からの地域であり、いわば下町である。
そのため、付近には高層アパート群はない。
しかし、ちょっと郊外にでれば、香港と同にように高層アパートが林立している。
やはりアパート暮らしこそ、都市生活者だろう。
そして、アパート暮らしにルールをつくることこそ、スマートな近代人である。

 そういえば、小さな土地に同じような、極小分譲住宅が並ぶ風景は、あまり見なかったように思う。
やはり韓国が、長年にわたって侵略されてきた歴史をもち、侵略者によって土地を奪われてきたから、土地付きの一戸建てに拘らないのだろう。

 土地にかんしては、我が国が特殊なのだ。
土地に対する韓国人の意識は、ヨーロッパ人たちと同じである。
アパートを手に入れることは、韓国でも大変そうではある。
しかし、住環境については東京よりソウルに、将来性があるのではないだろうか。

  建物を個別的にみると、ソウルより我が国のほうが斬新であり、進んでいるように思う。
また、若者のファッションにしても、渋谷系の少女たちのほうが、はるかにユニークである。
しかし、高速道路をこわして清渓川路をつくったことなど、全体計画では韓国に分があるように感じた。

 今後はどうなるのであろうか。
そんなことを考えながら、北村を後にして仁寺洞(インサドン)へと向かう。
今夜は、明洞でサムゲタンを食べる予定だ。
しばらく時間がある。仁寺洞の入り口で一時解散し、6時にホテルで集まることにした。

 ボクはAさんと歩く。
彼が若い頃、デートをした場所や、喫茶店などへと案内してくれた。
かつては古道具屋街だった仁寺洞には、観光客相手の土産物屋さんがたちならんでいる。
いまでも小さな区画整理が進み、新しい建物が建ちつづけている。
古い街と新しいものが混在している。
日本人をはじめ観光客がたくさん歩いている。
ボクにはあまり関係ない場所である。

 ホテルで6時に再結集した一同は、サムゲタンを食べに明洞へと向かう。
これから行く店は、移転や経営者の変更をしていない、明洞で唯一の店らしい。
長い歴史を誇る、老舗中の老舗だという。
貫禄のある店構えだったが、場所が場所だけに庶民的な雰囲気である。

 サムゲタンと一緒に、鳥の丸焼きをたのむ。
北京ダックと同じように、皮が美味しいのだ。
香ばしいなかにも、ジューシィさが残り、心地良い食感である。
サムゲタンはスープの中に、詰め物をされた鳥が浮かんでいる。
あっさりした味で、中をほじくっていくと、ご飯や野菜がでてきた。

 充分に美味しいのだが、単品料理で味にバラエティがない。
夕食と向けというより、昼食向けではないだろうか。
ここではソウル・マッコリの外注はできない。
店の外へ買いにいくようなサービスは、きわめて庶民的な店にしか残っていないのだろう。
ビールを飲む。カスが軽くて美味い。

 満腹した一同は、明洞を後にする。
この晩は寒かった。
帰り道、スターバックスに一時避難する。
食べるのには満足したはずの一同だったが、また食べ物や飲み物を口に入れるのだった。
そして、ホテルに戻ると、ソウル最後の宴会へとなだれ込んでいった。
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