団塊たちのソウル
2009.4.5−記
第1日目 金浦空港まで ソウル、第1食目
第2日目 お巡りさんと青瓦台 老人公園、宋廟、焼き肉
第3日目 南大門市場から韓屋マウルへ 民家と高層アパート
第4日目 犬の肉を食べにいく 雨中居のトップに戻る


第1日目   ソウル、第1食目  


 地下鉄に乗ろうにも、ハングルが読めないボクたちは、自動発券機がつかえない。
Aさんに案内されて、窓口にいく。
地下鉄は目的地まで1300ウォン。
黄色い切符の真ん中に、磁気が入ったラインがある。
降りるときにも切符が必要なので、切符を取り忘れないようにと、Aさんから指示がとぶ。

 地下鉄のホームは線路と完全に遮断されている。
電車が入ってくると、電車の扉と連動してホームのガラス戸も開く。
東京はまだここまで来ていない。
これはソウルの勝ち。
地下鉄は空いていた。
しかし、市内に近づくと、だんだんと混んできた。
見ていると、若者が老女に席を譲る。
敬老精神は、我が国より強そうだ。

 地下鉄など交通機関のなかで、ソウル人は携帯をがんがん使っている。
香港人も電車中で携帯を使うし、これが世界標準である。
我が国だけが、携帯を使わせない。
携帯の電波で、心臓のペースメーカーが、異常反応したという話は聞かない。
にもかかわらず、車中での携帯禁止である。

 だれが携帯禁止と言いだしたのだろうか。
誰が決めたというわけでもないのに、日本ではいつの間にか車中では携帯禁止になっていた。
どこでも使えるという携帯の機能を無駄にしている。
タバコの害は、はっきりとした根拠がありながら、なかなか全面禁煙にならない。
どうも日本は、ガラパゴスへの道を進んでいるのかもしれない。

 韓国人と日本人は、ほんとうによく似ている。
1人1人では区別が付かない。
それでも何人かまとまると、違いがわかる。
6人の日本人集団は、やっぱり目立つのだろう。
車中で注目を集める。
やがて慣れてくると、だれもボクたちを気にしなくなる。

 約1時間で、市中に入るらしい。
鐘閣3街駅で、地下鉄1号線に乗り換え。
ここは大きく広い駅らしい。
乗り換えにちょっと歩く。
動く歩道が、一時止まってしまうハプニング。
しかし、笑うだけ。だれも慌てもしないし、怒らない。
ときどき止まるのだろうか。鐘閣(チョンノ)へは一駅である。
 
 鐘閣駅では、ホームのガラス戸が工事中だった。
鉄の柱だけ立っていて、まだ他には何もない。
韓国でも工事自体は、夜やっているのだろう。
我が国だと、こうした工事はどうするだろうか。
一夜城的な徹夜工事で、翌日までに完成させるのか。
ちょっとわからない。でも、翌日も翌々日も、柱のままだった。
韓国ではいつ工事をやるのだろうか。

 そんなことを観察しながら、鐘閣駅におりる。
地下街から地上にでると、広い鐘路通り。
土曜日のせいか、交通量はそれほど多くない。
何となく見なれた感じだが、看板がすべてハングルである。
それを除けば、東京とよく似ている街の空気である。

 YMCAホテルは、地下道からでるとすぐ近くで、鐘路通りに面している。
かつては6階がフロントで、6階から上はすべて客室だったように記憶していたが、今回は8階がフロントになっていた。
そのうえ、客室は8階だけになっていた。
きれいにリフォームされており、かつてのレトロな雰囲気はない。
客室にも、内側に気密性の高いサッシが入って、防音性も上がっていた。

 YMCAホテルのことを、いくつか書いておくと、
ヨーロッパの安宿のようにへたったベッドではく、実にしっかりしたベッドだった。
もちろんベッド・メイキングも毎日きちんとされていたし、毛布なども充分にあった。
タオルはバス・タオルと、フェイス・タオルだけだが、品質は充分である。
何よりもよかったのは、室内の暖房がちょうど良かったことだ。
冬の寒いソウルでは、暖房には神経を使っているのだろう。

 部屋割りが決まると、ロビーでミーティング。
1人は友人に会うために別行動。
5時半頃、5人がAさんの紹介で、夕食を食べに近所の韓食店にいく。
YMCAホテルのすぐ裏の韓食店で、きわめて大衆的な店だった。
靴をぬいであがり、ずんずんと奥へすすむ。
床の座布団にすわる。
注文はAさん任せにして、出てきたものをただちに口へ運ぶ。


 ドンブリに入ったマッコリを、浅い大きな盃にうける。
白濁したマッコリは、不思議な味だった。
かすかに酢っぱ味がのこり、あまりアルコール分を感じない。
小さな気泡があり、柔らかい口当たりである。
韓国では、いわゆるお通しのような箸休めがたくさんでてくる。
この店でも、4品くらい出ただろうか。
すべておかわり自由で、料金は主皿に含まれている。
いくら食べても、タダということだった。
 
 食事の途中で、Aさんの友人が登場。
楽しく話が盛り上がる。本場のチチジミは、薄くて新鮮だった。
そして、納豆のような味のスープが、妙なる味覚を呼ぶ。
いくら説明されても、なかなか料理の名前が覚えられない。
たらふく飲んで喰って、しめて6万1千ウォン。
5人で割っても、約800円である。
味と量、その安さに、全員が感動。

 食後の運動をかねて、明洞(ミョンドン)へむかう。
YMCAホテル前のスターバックスの角をはいって、細い路地を南にむかって歩く。
清渓川路にでる。高速道路を廃止して、人工河川をつくって有名になったところである。
土曜日のせいだろうか、たくさんの人が散策している。

 われわれも、河川におりる。
水の流れの両側には、ベンチがつらなりカップルが座っている。
カップルの前を大勢の人が歩くけれど、彼(女)らまったく気にならないらしい。
暗いからよく判らないが、2人だけの世界に没入している。
どうも韓国人のほうが、愛情表現が豊かなようだ。

 明洞到着。
すごい人出である。
車の入らない狭い道に、人があふれている。
繁華街というより、歓楽街といった感じ。
渋谷のセンター街と言ったらいいだろうか。
4〜6メートルの路地が、縦横にはしっている。
古い街らしく、それほど高い建物はなく、小さな店がひしめきあっている。

 約2名がBBクリームを買いに店にはいる。
そのあいだ、他の者は、とんがりソフトクリームを食べる。
ソフトクリームが途中で折れてしまう。あ〜っ!と言うまもなく、アスファルトのうえにべちゃっと落下。
無念! 
他の人のとんがりを、少し分けてもらう。

 人通りのなかを、きょろきょろとしながら、帰路につく。
明洞をでたところで、清渓川路を西に向かい、南大門路を北上する。
鐘路通りとの交差点には、普信閣(ポクシンガク)がみえる。
その脇をとおって、鐘路通りをYMCAホテルへと戻る。
ここでAさんは自宅へと帰っていった。

 YMCAホテルには、別行動だった1人が戻っていた。
近所の売店から、真露とマッコリを買ってきて、1部屋に集まって宴会がはじまった。
酒を飲みつつ、ああだこうだと言いながら、ソウルの夜は更けていった。
広告

次へ