匠雅音のインド旅行記

インドの空気と団塊男    1997.12.記
01.はじめに 02.インド到着 03.カルカッタ市内へ 04.ホテル リットン
05.カルカッタ市内にて 06.インド第1食目 07.列車の切符を買う 08.床屋さんと夕立
09.シャワーをつかう 10.イギリスの支配 11.カーリーテンプル 12.路面電車
13.カルカッタ素描 14.ハウラー駅 15.ブッタガヤの入り口 16.お釈迦さんのブッタガヤ
17.おんぼろバスの旅 18.バナラスィーにて 19.ガンジスへ 20.アグラへの準備
21.タージマハール 22.アグラフォート 23.ピンクのジャイプルへ 24.パンク! オートリキシャ
25.エアコンバス 26.国際高級ホテル 27.デリー 28.さようなら

21.タージマハール
 世界に有名なタージマハール、これが何とお墓だったとは知らなかった。
しかも、たった1人の女性のための墓だったとは、昔にもフェミニストはいたんだなと感心。

 これを造ったおかげで、国家財政が傾いたそうだが、今では立派な観光資源。
世界中から客を呼んでいる。
観光で村おこしに励んでいるところが、日本にもあることを考えると、なんだか不思議である。
小さなことを考えるから駄目なのである。
村がつぶれるほどに巨額の資財を投じれば、観光の目玉が出来るなどと、あらぬ事を考えてしまう。

 タージマハールはヤムナー川を背に、南を向いて建っている。
大理石の大きな白い建物、これはお墓だから内部はそれほど広くはない。
これを中心にして、川の方をのぞいた三方に回廊がまわり、建物の正面には広い中庭がある。
三方の回廊の南側だけに門があり、東と西の回廊には門はない。

 正面の門の外には、また中庭があって回廊がある。
外の回廊には、東西南と門が3カ所ある。
タージマハールの有名な白い建物の前にたつには、第一の門をくぐり中庭に出て、もういちど門をくぐらなければならない。
この第二の門から中が、写真などでよく 見る本当のタージマハールである。

 僕は西の門から入った。
第一の中庭までは無料。
次の門、つまり建物の正面にある門を入るときには、料金をとられる。
しかし金曜日は無料解放だそうで、タダだった。
この門では、カバンを明けての所持品検査がある。
僕の荷物からはポケットナイフが見つかり、一時預かりへ。

  中にはいると水をはった中庭の向こうに、イスラム様式のタージマハールが建っている。
写真で見慣れた景色。
たくさんの人が、白い建物に向かって歩いてい る。
僕もその列に混じって、白い建物に近づく。
遠くから見たときは、均整がとれて美しく感じたが、近くに来ると、正面の建物はなぜか不安定な感じがする。

 よーく見ると、四隅に建っている塔が、外側に倒れている。
4本とも同じように、外側へ倒れているのである。
建物も垂直ではなく、壁が上にいくに従って、い くらか外へ倒れている。
そして、水平な線も中央が弛んだように、造られている。
全体にわずかながら垂直や水平が崩れている。
これは明らかに作為的になされたものである。

 この巨大な墓を造った王様は、タージマハールの中庭には、誰も入れないつもりだったに違いな い。
最初の中庭の門から見たときに、この白い建物が最も美しく見えるように視覚矯正をして、建築されたに違いない。
4本の塔をまっすぐに立てると、内側に倒れて見えるのを防ぐために、わざと外側へ傾けて建築したのである。

 ところが予定と違って、後世の管理人はタージマハールの中庭まで人を入れた。
しかも内部まで拝観させるようになったので、せっかく苦心した視覚矯正に感ずかれてしまうのだ。
タージマハールの設計者は、地下で嘆いているに違いない。

 白い建物にはいるときは、靴を脱ぐ。
大理石の上を裸足で歩くのは気持ちが良いが、すでに陽が高く暑い。
日陰に座ってあたりを眺めていると、ここでも不思議なことが起きた。
僕と写真を撮ってくれと言うのである。

 3才くらいの子供を僕の隣に座らせて、写真を撮られた。
その人だけではない。
何人も僕と写真を撮りたいと、隣に座るのである。
インドには不思議な習慣があるものだと感心しながら、にっこり笑ってカメラを見る。

 無料解放の日だからか、中学生くらいの子供が多い。
男の子の5人のグループが寄ってくる。
「ハロー」
「ハーイ」
「どこから来たの」
「フロム ヘヴン」
と答えると、しばらく考えてから、どっと笑う。

 5人は僕の両側にぴったりと座り、いろいろと質問する。
その中の1人が、きれいな英語をしゃべり、僕の話をみんなに通訳する。
そのたびに喚声が上がる。
負けずに僕も質問する。

 彼等は市内の中学生で、今日は学校が休みなのだそうで、ここへ遊びに来ているとか。
僕の住所を教えろと、紙を出す。
手紙でも書くつもりなのだろうか。ローマ字で記す。
日本の住所は発音しづらいらしく、なかなか音にならない。

 北に流れる川を見ると、雄大な景色が遠望できる。
広い川の中央に、遠くの上流から、水に浮いて流れているものがある。
小さな筏のようである。
その上には鳥 が何羽も舞っている。
よく見ると、どうやら人間の死体が乗っているらしい。
筏の上には、飾りまで見える。
水に流されて、野辺送りされた死体である。
死体が川を流れていたら、日本では大騒ぎだろう。
しかしインドでは、誰もさわがない。

 僕には水葬はなじみがないが、土葬や火葬と並んで、水葬も埋葬法の1つである。
死んでから川に流された人だろうが、人間の死という実感がない。
鳥についばまれて、人体も自然に戻る。
ここでは流れる死体も、1つの風景にしか過ぎない。

 日本人が斎場で棺を焼くとき、これでこの人と今生のお別れだと思うのと、同じ気持ちをもってインド人は、川に死体を流すのだろうか。
死体の乗った筏を沖合に押し出すとき、肉親はどんな気持ちだろう。
涙ながらに棺の釘を打つ日本人たちと、同じ心の儀式を経ているのだろうか。
生のこちら側と向こう側は、どのよ うにつながっているのだろうか。
すでに肉親の手を離れて、ゆっくりと流れる死体が、陽に照らされてあと何日の旅を続けるのだろう。

 ほとんどの人は、中央の白い建物だけ見て帰っていく。
僕は靴をはいて、広い中庭をあちこちと歩く。
木から木へと、リスが駆け回っている。
博物館は休館。
改修中の建物もある。
職人たちが働いている。
哲学的な風貌の老人が座っている。
彼の写真を撮らせてもらう。

 第一の中庭に戻ると、水飲み場が見える。
飲んでみると、妙な味がする。
みな飲んでいるけれど、まずい。
歩く人を眺めて、しばらくの時間を過ごす。
外国人観光客もちらほら見えるが、圧倒的にインド人である。

 この暑い時期には、外国人旅行者は少ないのだろう。
そう言えば、雨期は明けたらしい。
あれほど激しく降った雨が、2・3前から、まったく降らなくなった。
おかげで傘も不要になった。
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