世界に有名なタージマハール、これが何とお墓だったとは知らなかった。
しかも、たった1人の女性のための墓だったとは、昔にもフェミニストはいたんだなと感心。
これを造ったおかげで、国家財政が傾いたそうだが、今では立派な観光資源。
世界中から客を呼んでいる。
観光で村おこしに励んでいるところが、日本にもあることを考えると、なんだか不思議である。
小さなことを考えるから駄目なのである。
村がつぶれるほどに巨額の資財を投じれば、観光の目玉が出来るなどと、あらぬ事を考えてしまう。
タージマハールはヤムナー川を背に、南を向いて建っている。
大理石の大きな白い建物、これはお墓だから内部はそれほど広くはない。
これを中心にして、川の方をのぞいた三方に回廊がまわり、建物の正面には広い中庭がある。
三方の回廊の南側だけに門があり、東と西の回廊には門はない。
正面の門の外には、また中庭があって回廊がある。
外の回廊には、東西南と門が3カ所ある。
タージマハールの有名な白い建物の前にたつには、第一の門をくぐり中庭に出て、もういちど門をくぐらなければならない。
この第二の門から中が、写真などでよく 見る本当のタージマハールである。
僕は西の門から入った。
第一の中庭までは無料。
次の門、つまり建物の正面にある門を入るときには、料金をとられる。
しかし金曜日は無料解放だそうで、タダだった。
この門では、カバンを明けての所持品検査がある。
僕の荷物からはポケットナイフが見つかり、一時預かりへ。
中にはいると水をはった中庭の向こうに、イスラム様式のタージマハールが建っている。
写真で見慣れた景色。
たくさんの人が、白い建物に向かって歩いてい る。
僕もその列に混じって、白い建物に近づく。
遠くから見たときは、均整がとれて美しく感じたが、近くに来ると、正面の建物はなぜか不安定な感じがする。
よーく見ると、四隅に建っている塔が、外側に倒れている。
4本とも同じように、外側へ倒れているのである。
建物も垂直ではなく、壁が上にいくに従って、い くらか外へ倒れている。
そして、水平な線も中央が弛んだように、造られている。
全体にわずかながら垂直や水平が崩れている。
これは明らかに作為的になされたものである。
この巨大な墓を造った王様は、タージマハールの中庭には、誰も入れないつもりだったに違いな
い。
最初の中庭の門から見たときに、この白い建物が最も美しく見えるように視覚矯正をして、建築されたに違いない。
4本の塔をまっすぐに立てると、内側に倒れて見えるのを防ぐために、わざと外側へ傾けて建築したのである。
ところが予定と違って、後世の管理人はタージマハールの中庭まで人を入れた。
しかも内部まで拝観させるようになったので、せっかく苦心した視覚矯正に感ずかれてしまうのだ。
タージマハールの設計者は、地下で嘆いているに違いない。
白い建物にはいるときは、靴を脱ぐ。
大理石の上を裸足で歩くのは気持ちが良いが、すでに陽が高く暑い。
日陰に座ってあたりを眺めていると、ここでも不思議なことが起きた。
僕と写真を撮ってくれと言うのである。
3才くらいの子供を僕の隣に座らせて、写真を撮られた。
その人だけではない。
何人も僕と写真を撮りたいと、隣に座るのである。
インドには不思議な習慣があるものだと感心しながら、にっこり笑ってカメラを見る。
無料解放の日だからか、中学生くらいの子供が多い。
男の子の5人のグループが寄ってくる。
「ハロー」
「ハーイ」
「どこから来たの」
「フロム ヘヴン」
と答えると、しばらく考えてから、どっと笑う。
5人は僕の両側にぴったりと座り、いろいろと質問する。
その中の1人が、きれいな英語をしゃべり、僕の話をみんなに通訳する。
そのたびに喚声が上がる。
負けずに僕も質問する。
彼等は市内の中学生で、今日は学校が休みなのだそうで、ここへ遊びに来ているとか。
僕の住所を教えろと、紙を出す。
手紙でも書くつもりなのだろうか。ローマ字で記す。
日本の住所は発音しづらいらしく、なかなか音にならない。
北に流れる川を見ると、雄大な景色が遠望できる。
広い川の中央に、遠くの上流から、水に浮いて流れているものがある。
小さな筏のようである。
その上には鳥 が何羽も舞っている。
よく見ると、どうやら人間の死体が乗っているらしい。
筏の上には、飾りまで見える。
水に流されて、野辺送りされた死体である。
死体が川を流れていたら、日本では大騒ぎだろう。
しかしインドでは、誰もさわがない。
僕には水葬はなじみがないが、土葬や火葬と並んで、水葬も埋葬法の1つである。
死んでから川に流された人だろうが、人間の死という実感がない。
鳥についばまれて、人体も自然に戻る。
ここでは流れる死体も、1つの風景にしか過ぎない。
日本人が斎場で棺を焼くとき、これでこの人と今生のお別れだと思うのと、同じ気持ちをもってインド人は、川に死体を流すのだろうか。
死体の乗った筏を沖合に押し出すとき、肉親はどんな気持ちだろう。
涙ながらに棺の釘を打つ日本人たちと、同じ心の儀式を経ているのだろうか。
生のこちら側と向こう側は、どのよ うにつながっているのだろうか。
すでに肉親の手を離れて、ゆっくりと流れる死体が、陽に照らされてあと何日の旅を続けるのだろう。
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ほとんどの人は、中央の白い建物だけ見て帰っていく。
僕は靴をはいて、広い中庭をあちこちと歩く。
木から木へと、リスが駆け回っている。
博物館は休館。
改修中の建物もある。
職人たちが働いている。
哲学的な風貌の老人が座っている。
彼の写真を撮らせてもらう。
第一の中庭に戻ると、水飲み場が見える。
飲んでみると、妙な味がする。
みな飲んでいるけれど、まずい。
歩く人を眺めて、しばらくの時間を過ごす。
外国人観光客もちらほら見えるが、圧倒的にインド人である。
この暑い時期には、外国人旅行者は少ないのだろう。
そう言えば、雨期は明けたらしい。
あれほど激しく降った雨が、2・3前から、まったく降らなくなった。
おかげで傘も不要になった。
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