平日のビルマ
6.普通の家でも、坊さんがいる

 建築の設計という仕事も、とても面白かった。建築の設計をやるうえでも、海外の生活を知ることは役にたったが、今考えると、日本の建築主はもっぱら快適性を求めていたように思う。
 
 1995年以前は、まだエコなど誰も考えていなかった。まだバブル景気によっており、1995年頃にバブルがはじけて、自然との協調などと言いだすようになった。

 写真の解説はページの下にもあります。

1995年−個展の案内
1.ヤンゴンを走るバス
2.ヤンゴン港で走る舟
3.荷物を頭上で運ぶ男
4.バスの中の坊さんたち
5.日陰を求めて
6.普通の家でも、坊さんがいる
7.長距離でもバスが足である
8.トラックのバスに乗る
9.水をくんで家まで運ぶ少女
10.牛はゆうぜんと寝そべる
11.パガンの子供たち
12.イラワジ川の近くのパゴタ
13.パガン遺跡−1
14.パガン遺跡−2
15.パガンの落日
 ミャンマーの男は、一生に一度はお坊さんになります。そして、気軽に普通の人に戻ったり、またお坊さんになったりします。小乗仏教ですから、我が国と違って戒律は厳しいのですが、みなさん、ノビノビとお坊さんをやっています。  この写真は、仲良くなった男の家で撮ったのですが、写真を撮ると言ったら、まずお坊さんがでてきました。偉い人からと言うことらしいのですが、このお坊さんはこの家に住んでいるのです。
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